死にたいと独り言を言ってしまいます
いつも相談に乗って頂きありがとうございます。おかげさまで悩みがありつつもなんとかやって来れています。
このたびご相談したいのは、以前からの自分の癖についてです。タイトルの通り、私は、たまに「死にたい」と独り言を言ってしまう時があります。とくに、休日や仕事が終わった後に、ふと仕事のことを思い出し、自分がうまくできなかったことやこれから起こる不安なことを思い描いた瞬間、衝動的に「死にたい」と呟いてしまうのです。
本心から死にたいと思っているわけではなく、人のいる場で死にたいと口にしたことはありません。ただ、自分にとって苦しいことを思い描いた時、「死にたい」と一人で呟くことが癖になっており、口にした直後、また言ってしまったと自己嫌悪に襲われます。
私は以前から、善いものに接した時に、衝動的に悪いことを考えてしまい、その後自己嫌悪するという癖があります。たとえばお墓の前を通った時に「うわ、気持ち悪い」→「亡くなった人を弔うためのものなのに、気持ち悪いと思うなんてだめだ」とか、お地蔵さんにお供物がしてあるのを見て「そんなことしても意味ない」→「そんなことはない、お地蔵さんはちゃんと見守ってくれている」というふうに。
特に人の生死や宗教に関することはこれらの相反する感情が出てきて、自分でもどちらが本心なのかわからなくなります。
邪な考えが湧き上がってくるたびに自己嫌悪してしまい、自分にがっかりします。どうすればこの邪な考えを抱かないようにできるのでしょうか。それとも、このような心の動きは当たり前のことなのでしょうか。誰にも知られることはありませんが、毎回の自己嫌悪がつらく、なんとかやめてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
口から漏れること、そんな日があってもいいんじゃないかしら。
どちらの自分も、存在するのではないでしょうか。主観的感情と客観的納得みたいな感じで。どちらが正しいとかではなく、いろんな見方をしているということではないでしょうかね。
また、自分の思想と、周りの信仰心は、みんな違いますから。そう思ってはいけない、と自分を責めなくても、人それぞれに大切なものは違うものだと無理に納得するより認めていけたらいいですよね。そのほうが、気持ち的にラクだろうなと思います。
死にたいって言葉も、あなたの状況を表す適切な言葉が見つからなくて、死にたいが口から漏れるのではないかしら。
解放されたい、別の人生があれば、違う出会いなら、別の人間なら、消えれたら…
時々で違うかもしれませんね。
そんな日があって、口から漏れることがあってもいいんじゃないかしら。
それも私なんだよな〜って、受け入れて流していけたらいいですよね。
上手く流さなきゃ、留まって悩んじゃいますからね。
そんな日があってもいいのですよ。
質問者からのお礼
中田様、いつも寄り添ってくださる回答をありがとうございます。どちらの自分も認めていいのだと言って頂けてとても安心しました。確かに、普段からバランスを取ってものを見ようとする習慣があるので、そのような自分の特性があるのかもしれません。どちらの見方もできるとポジティブに考え、そういった自分を受け入れたいと思います。
些細ですが数年来悩んでいたことなので、ご回答に心から感謝いたします。残暑の折、ご体調にお気をつけてお過ごしください。