自分の話し方が不快感を与えるらしい
母に話し方にとげがある
喧嘩腰であると言われました。
年少期は穏やかで優しく、素直だったのにと
皮肉っぽく言われました。
私としても、納得できるところはあります。
母に対して、友達に対して、自分が上に立とうとする癖があると思います。
そうしないと、自分の精神が保てない弱い人間なんだと、最近になって自分なりに解釈するようになりました。
今その悪い癖をどう直していこうかと
悩んでいるところです。
私は、中高はとても素直な子供とは言えず
偏見のある父、ヒステリックな母親のことがどうしても良いと思えず、非行には走ってはいませんが、人並み以上には反抗してきました。
大学生になり、一人暮らしをして
親の大切さ、家族の大切さに気付き、なんとか親子関係を修復しようと努力をしています。
母は私の悪い癖が出ると、すぐに
中高の私の話を出してきます。あのことを許したわけではない、お前は感謝するべきだ。
それはもちろんそうですか、そのことを一生言われ続けるのかと思うと、気がおかしくなります。
私は友人に最近、話すときに
けどや、でもを使うのを直した方がよいと言われました。どんなに人が良くても、それではあなたの印象が悪くなると。
その時私は、根っからのネガティブなんだと
家での話し方だけじゃなく、外では大丈夫だと思っていたのに、それもダメだったのかと思いました。
非常に読みにくく、分かりにくいと思いますが、
つまりは話し方の指摘から始まり
それを認めて、直していこうと思ってはいるものの、もう自分がネガティブすぎて疲れてしまっています。
どのようにすれば、人並みにポジティブになれるのでしょうか?
他人の成功に嫉妬してしまう 情緒不安定で、後悔をする癖がなかなか治りません。自他共に認める筋金入りのネガティブです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
ネガティブをポジティブにしたいとのことですが、自分の悪いところを直していこうとしているだけで、充分ポジティブですよ(^_^)
大丈夫!あとは方法だけ!
「自分が上に立とうとする癖」
「自分の精神が保てない弱い人間なんだ」という自己分析と、「でも」を使っていると友達に言われたみたいですね。
「でも」は自己主張したいときに出る言葉ですよね。
そこには、主張で負けたくないとする思いがあるんだと思います。
”実るほど頭を垂れる稲穂かな”という言葉があります。
いい言葉ですよ。
声を荒げる人は、まだまだ実ってない稲穂なんです。
人間的に豊かになればなるほど、頭は低くできるんです。
逆もしかり、ちゃんと頭を下げれる人(謝ったりお願いしたり)、また、人の話を否定せずに聞ける人は豊かな実のある人なんですよ。
もちろんそんな人は「でも」は使いません。
さて、今の自分の実り具合はどうでしょうか。
自己批判するよりは、ことあることに自己採点してみるといいですよ(^^)
あまり考えない
分かります。
いぜんは解っていても、どうしても、そう言う話し方になってしまっていました。
少しずつ気をつけてはいても、気を抜くと戻ってしまう。。。。
でも、そこまで、分かってお見えならば大丈夫です。
私は、出来る限り相手の話しを聞くようにして、徐々に解消出来てきました。
頭で考え過ぎないことも大切ですよ。
質問者からのお礼
有り難うございます。
もやもやした気持ちが楽になりました。
これからゆっくり、着実に
良い方向に自分を変えていこうと思います。