恐怖心を受け入れたい
先日のニュースで、小さな子どもが亡くなり、ショックを受けました。
ここ数日は、ふとした瞬間に涙が出てきて、
何で「子どもが死ぬ」ことがあるのか
その子は、寂しい思いをしていないか
遺族は、この先死ぬまで辛い
そんなことがあって良いのか
何でだろうか
ということを、怒りとやるせなさ、悲しさと、色々な想いで考えています。
私は少々、共感力が強い傾向があり、
人の悪意ある行為
責め立てすぎる昨今のニュース
正論で攻撃するような主張
大災害などのドキュメント、ニュース
事故などの訃報
スポーツの一喜一憂
などは、
色々な意味で涙が出てくるか、胃痛がして食欲がなくなります。
そして、
起こりうる、もしくは起こっている「嫌なこと」「耐えがたいこと」は、
常に考えていないと不安です。
考えずにいて、ふとした時に突然やってくるのが怖いのです。
ですが、それでは生きるのが辛く、生活に支障が出るので、
ニュースは見ないようにしたり、
現実で起こった時は、そこからは逃げて、何とか平常心を保ってきました。
しかし、今回、突然子どもを失うかもしれない恐怖を目の当たりにしてしまいました。
この恐怖からはどうやっても、死ぬまで逃れられない。
ですが、この子達はいつかは自立してもらわなければいけない。
心配だけど、1人で色々な事をさせていかなければいけない。
この子達を尊重していかなければいけない。
だけど、死んだらどうしよう
そして、それを常に考えていないと落ち着かず、不安になってしまいます。
毎日毎日恐怖で、涙が出てきます。
でも、ここからは逃げられない。
だから、上手く付き合っていかなければいけないと思っているのですが、考え方が分かりません。
そして
どうか1人でも、悲しい思いをしないようにと願っています。
しかし私はなにも失っていないから申し訳なくて仕方ないです。
だけど絶対に失いたくないのです。
酷いのか、それで良いのかが解りません。
私はどのような気持ちで過ごせば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えや想像は目の前のことで悲しむことと違う
生命というものは儚いものです。
ずっと続くものとら思っているから、そうでなくなったときに悲しくなる。辛くなります。
平均寿命というのも、ただの平均であり、そこまで生きるという保証でもないわけです。平均より長い短いで幸不幸があるわけではない。
出来事に出会った時に、想像することを最優先してしまうと、どんどん不安になるものです。ああだったらこうだったらと自らの首を絞める行為です。
事実はありのままに受け入れることが大切です。そこに思いのトッピングをしないことです、悲しい場面で悲しくなるのは当たり前。そのかわり嬉しい場面ではうれしくなれる。素敵なことです。ただあまりにも想像力を働かせることは、目の前の出来事に向き合うこととは違い、思いの世界に浸っているだけです。
記憶や不安、想像は一旦置いといて、目の前のリアルを受け取っているご自身の様子に目を向けてください。
楽になってくると思いますよ。
質問者からのお礼
邦元様
コメントありがとうございます。
「思いの世界に浸る」これに尽きます。
目の前は
子どもが2人とも笑っています。
すやすや寝ています。
私はとても幸せで涙が出てきます。
日々、感謝して生きようと思います。
こんなに可愛い世界中の子ども達が、
どうか天寿を全うできますように
辛い思いをする人が減りますように