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葬儀と納骨のお寺は?

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主人が亡くなった時に、永大供養のお墓を探して購入しました。
その後、子供もいなかったので結婚前の旧姓に戻して実家の近くで1人暮らしです。
先々、私が亡くなった際は、実家を継いでいる兄家族が喪主になると思います。

そこで質問ですが、実家には仏壇があり、お世話になっているお寺もあります。実家の両親の葬儀や納骨などは、すべて実家の縁があるお寺にお世話になると思いますが、私の場合はどうすべきなのでしょうか?
実家の方は、まだ亡くなった者はいませんが、高齢な父が最近、仏壇だけは購入しました。その際に初めてお坊さんに来ていただきました。
実家の家族も、私自身も、信心深い方ではなくお寺に行く、お坊さんに来てもらうという習慣はありません。実家の母だけが神棚にお供えするように仏壇にもお供えをしなければならないって気にしている程度です。

そんな感じで、実家のお寺ともお墓のお寺とも、深いご縁を頂いているという意識もなく、お逢いする機会もほとんど無い状況です。

通夜・葬儀などは、実家のお寺にお願いして、納骨の時だけ私のお墓があるお寺にお願いするのでしょうか?

それとも、通夜・葬儀から、お墓のお寺にお願いすべきなのでしょうか?

ちなみに、両方の寺ともに同じ宗派です。実家の寺は自転車で10分、お墓のお寺は車で40分位の距離です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

永代供養墓を購入されたときの仲介業者にご相談してみては?

 永大供養墓を購入された際、お寺とすっぴんさんの間に、仲介業者が入ったのでしょうか。それとも、お寺から購入なさったのでしょうか。
 もし、仲介業者が入ったのなら、そこに相談するのが一番良いと思います。おそらく、購入された際の、契約書に決まりがあります。
 もし、お寺から直接購入なさったのなら、率直にお墓があるお寺に相談するのが良いと思います。寺院墓地は、お寺の檀家さん以外も入れる様に規定している場合と、檀家さん(墓地のあるお寺の僧侶がお葬式をした人)のみしか納骨を認めない場合があります。ただ、事前に相談しておけば、普通のお寺は柔軟に対応してくれると思います。
 お寺としては、故人の死も知らされず、急に納骨して下さいと言われるのが一番困惑します。

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有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言ってみたい。 最近は、一日一冊の本を読むようにしている。 毎日本を読んで分ったことは、 「本は高い(お金が無くなる)」です。 ※写真は五年前です。

答えは自分が知っている。

🙍どちらに入りたいか、はあなたが一番知っているでしょう。
我々に聞くことではありません。
自分の本心に聞くのがよろしいと思います。
人間元々誰のものでもなく、どこに所属しなきゃいかん、などということもありません。
よくお檀家さん方から耳にする話ですが、息子さんが亡くなった場合、奥さんがご自身の近い所にお墓を購入されますと、ご主人・息子さんのご実家の感覚としては、息子さんを持っていかれたという心情が生まれる事が本音としてあるようです。お子さんがいらっしゃって子供さんの代で守っていける年頃でしたらそういう問題は起こらないのですが、心情としては、ご主人はあなたが守っている感覚であってもご実家の方々は、自分たちで供養していきたいという感覚がある(かもしれない)でしょうから、もしご主人の墓地の護持の名義人が、あなたになっているのならば、あなたが体が弱っていて守っていけそうにない、ということを理由に還すべき所に還してあげるという事を御主人の実家に提案をされてみるのも良いでしょう。
ご主人の実家側がそれが望ましい提案だ、と思われればご主人の遺骨もご主人の実家の菩提寺に遷されるという事も一つの法かもしれません。
そうすればあなたは、実家の先祖代々のお墓に入って御親族がたに守っていただけるのではないでしょうか。これはあくまで私個人の直観的なアドバイスであってこれが一番望ましいかどうかはあなたが決めることです。
私の知り合いでがんを克服された方は、自分らしく生きる事を選択された方です。
心が迷ったり、不安な気持ちが多く起こるようなことは一切排除して早く健康になってください。('ω')ノ
これでも不安が解決されないようでしたら、同じ話を両方の菩提寺さんに相談されて、それで決めればよいと思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

長谷川さま、回答ありがとうございます。
お墓があるお寺は、私自身がいろいろと探し回って納得の出来るお墓を選んで、お寺と直接契約でお願いしました。私が喪主で行った主人の通夜・葬儀は、お墓のお寺にお願いしました。
「お寺としては、故人の死も知らされず、急に納骨して下さいと言われるのが一番困惑します。」とのお言葉を聞いてよかったです。事前相談をしておきたいと思います。
ただ、癌宣告は受けながらも、まだ、余命宣告を受けている訳でも無い今の状況で、「私の時の通夜・葬儀はどうしましょう?」という相談をすることには、少なからず、抵抗があります・・・・。
機会を見て、実家のお寺とお墓のお寺に相談をしたいと思います。ありがとうございました。

丹下さま、回答ありがとうございます。
文章での相談は、きちんと伝えることが難しいですね。

主人が入っているお墓は、私が将来一緒に入りたいお墓を探し回って見つけた場所ですので、そこに納骨して貰う予定です。
「心が迷う・不安がある」という問題ではなく、私が亡き後に余計なトラブルは無いようにしたい、通夜・葬儀を執り行うことは、それだけでも大変なことだから、早めに解決できることは解決しておきたいとの思っています。「今を生きる」的なことで言えば、「その時になって残された者たちが考えれば良い」ということなのかもしれませんが、「あの子は生前、お墓を買っていたけど、お寺はどっちを呼ぶのかな?」というのは必ず起きることです。そこで、悩ませる必要が無いように、今、対応したいと思ってのことでした。

いずれにしても、両方のお寺に相談して決めたいと思います。ありがとうございました。

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