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離婚への踏み切り方

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有り難し有り難し 11

こんにちは。先日もお世話になりました。ありがとうございました。

昨年の11月に発覚した夫の不倫がきっかけで離婚を考えています。不倫そのものも当然許し難いのですが、それよりも目の前の夫の人間性に失望してしまいました。他人が嫌な思いや辛い思いをしているのを知っていても、自分の欲のまま行動してしまう人です。不倫発覚後も彼女の連絡先は消さない、別の女の子と内緒で飲みに行く、指輪を外す(ずっとつけていてとお願いしても)、スマホのパスワードを変える、挙げ句の果てには彼女とこっそりと再度会ってはそれがバレそうになると逆ギレする…そういった始末でした。何度も泣いて謝ってきたこともあるため反省していないわけではないのでしょうが、それが行動に現れていません。私への思いやりからは程遠く、どこまでいっても自分ファーストである身勝手さや不誠実さにとても嫌気がさしました。当初は再構築する方向で努力していましたが、不倫した側が信頼を取り戻す努力をしないのにやり直すことなんて到底できないと思い、発覚から半年程経った頃に私から離婚したいと話しました。

ただ、やはり離婚してバツイチになるのにはとても勇気がいります。夫には発覚直後に「あなたはどうしたいの?私とやり直したいの?それともきっぱり離婚したいの?」と聞きましたが、「決められない。俺に決める権利はない。やり直したとしてもずっと許されないのは辛い。疑われ続けてより窮屈になるのも辛い。」と言われました。かと言ってはっきりと離婚したいとも言いません。この先行きの見えない状況に耐えられなくなり私から離婚を切り出しましたが、まだ踏ん切りがつきません。夫は「お前が離婚したいならそれを受け入れる」と言っています。自分では最後まで何も決めず、選択の責任を私に負わせようとしているのが非常に狡く感じます。ただずっとこのままの状態でいるわけにもいきませんので、再構築か離婚かの覚悟を決め、それに向かって進んで行きたいと思うのですが、その覚悟はどうしたらできるのでしょうか。ここまできても夫に選択をしてもらいたいと望む私がおかしいのでしょうか。夫が離婚しようとはっきり言ってくれれば、私の腹もきまるのに…と思ってしまいます。頭で考えれば離婚するべきだとわかっているのですが、踏ん切りがつきません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こればっかりは自分で決めるしかありません(._. )

エゴイスト、自己チュー、自分ラブ、自分ファースト民の多い今の世の中。
令和元年から旦那の浮気に関しては「仏の顔も3度まで但しイケメンに限る」だそうです(ホンマカイナ)。
相手の人間性を見極めてバッサリ見限る。
これは大事なこと。
このhasunoha内でもどれほどの女性がショーモナ男子の為に泣いているでしょうか。
こちらが善意でも相手が℗な人間性ならその人は案の定「そういう程度」だったというだけです。別にボランティアではないのですからDV旦那から逃げるように別れて全然OKっス。('◇')
そこを見極めて守るべきものを守りませんと日本が国外からのコロナの拡散を防げなかったようにあなたの今後の人生も不満毒素に感染します。これは相手の人間のあることだからあなただけまともでも泣き寝入りするのはあなただけ。
よって('👄')二度と浮気できないレベルでたっぷりと慰謝料請求してお別れすることです。ですが私はあなたではありませんので他人の意見よりも自分が心底、本当にどうしたいのかが答え。
今後、数十年本当にその男で大丈夫かどうか。
伴侶を大事にしない男は旦那でも夫でもなく単なる「オス」♂ですから今後も家庭的ではありません。話の感じからしても誠実さを感じられませんので今後も浮気の可能性はあるでしょう。善意で愛せない人と結婚生活を続けて一生不幸になってもよいのでしょうか。
とりあえず、近いうちに本当に真剣に離婚「すべきかどうか」を話し合って可能性を見出せないのであれば、あなたの「本心に忠実」に生きるべきでしょう。

バツイチになることを恐れる必要なんていりません。
知人の沖縄県人さんが言うには「俺たちは酒ばっかり飲んで酒の勢いで結婚して酒の勢いで浮気して離婚して周りの人間もバツ2バツ3トリプルXが当たり前(本人談)」だとか。すさまじや。お寺に来たフランス人たちはみんな親の身勝手な籍を入れない事実婚で生まれた人たちでした。可哀そうでした。大切なのは人間性。国によって結婚という価値観・概念・ビジョンが異なっても、大切なのはあなたとあなたの理想とする家庭とあなたの愛せるお子さんとあなたの愛せる理想的なパートナーです。
あなたが大切にしているのは人間性。あなたもそういう立派な人間性を持っておられるのですから、あなたと対等になれる価値観を持った人と一緒になることも新しい選択肢と言えましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下さま
ありがとうございます。いつもクスッと笑えてジワッと沁みる、丹下さまならではの回答を拝見しておりました。どうしても目先の不安が実現しない道を選びたくなってしまいますが、一時の苦しみを覚悟しながらも真に理想とする人生を選び取る勇気を持とうと思います。そのためにはショーモナ民に見切りをつけることも必要ですね。今後また方向がわからなくなった時、今回のご回答を何度も読み返そうと思います。ありがとうございました。

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