過去の過ちを抱えながら生きるには
初めて質問します。私は今高校生です。
単刀直入に申し上げますと、私は昔いじめ行為をしてしまいました。
具体的には悪口を言って泣かせてしまったり、陰口を叩いて好き放題言っていたことです。
今思えばなんて事をしたと思っておりますし、酷く幼稚で恥ずかしく、自分の体裁を保つだけの為の行為だったと恥じています。
口頭や文面でその当時本人に謝罪はしましたし被害者の本人も許してはくれましたが当たり前ながら嫌われています。
現在殆どその頃の人達と関わる機会はありませんがSNSでその子とその子が仲が良かった子が今も尚交友が続いている状況を見ると
自分がそこには戻れないことや自分のした事の悪さを噂されているのだろうと思ってしまいます。
今私は人を傷つけることの無いよう、人を大切にできるよう日々心がけております、悪口を言う事はよっぽど無いよう気をつけておりますし、優しく人と関係を保てるようにしているつもりです。
しかし自分がやった罪は変わりません。頭では理解しているのですがどうしても悔やんで辛くなってしまいます。どのようにしてこの罪を抱えたまま生きてゆけばいいでしょうか。
何卒よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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重苦は自己成長のための薬ととらえる。
拝読させていただきました。
心情お察しいたします。
なぜ現在、そのような重たい気持ちになっているのかは、本意ではなかったことが自身に反映してしまっているものであり、またその時には気付かず、現在さまざまな経験(巡り合わせ)により、ひぐちさんの心の本心が清浄であることに気づくことで苦しみが生じていることでもあります。
一度、謝罪させれたと文面にあり、相手は許してくれた。と記してありました。ケジメは付けられたのです。ただ過去には誰も戻れません。今から行うすべてのことを正しくしていくことで、過去は過去であったととらえていくことができます。
今、ひぐちさんは「過去の重たい荷物を抱えながら生きている」ことはとても今と明日に向かうこと全てに億劫さが生じていることと思います。
釈迦はこのように述べています。
「ひぐちさん、水この舟から水を汲み出せ。ひぐちさんが水を汲み出せば、舟は軽やかに進むであろう。
貪欲と瞋恚とを断ったならば、ひぐちさんは涅槃に達するだろう。」
と、説いてくれています。
上記での「舟」はひぐちさん自身を表しています。舟に水が溜まっていては舟は前進しません。心に業(行い)があることで進みにくくなっていると感じれると思います。
過去は過ぎ去った。過去は追うな。また未来も願わなくてよい。今に目覚め、今を生きることに専念することです。
ここでの「貪欲(むさぼる欲」は、過去を掘り返す思いが″むさぼる欲″に値します。
また、ここでの「瞋恚(やるせない怒り)」は、自分自身への怒りを表しています。
友達とのやり取りから自身が色々と思われているのではないか?そんなこと放っておけばいいのです。疑念というものは自身に貪欲と瞋恚を点滴しているようなものになります。
今、ひぐちさんの心は清らかで物ごとを正しく観ることのできる段階へと到達したのです。ここで腐ってはダメですよ。よくなる為に、これからの長い人生において早い段階で仏さまが、ひぐちさんに教えてくれた宝であると捉えるようにしてください。
正しく信念をもつことは、次友達に会う機会があるときに「なにか雰囲気が変わったね」と良いようにとらえてくれます。
皆誰もが体だけではなく、多くの人々と会う経験の中で、人生学を高めていくものです。友達関係も含め、皆ひぐちさんの当時の行いを咎めたり、思ったりはしない方向へいきます。
合掌
質問者からのお礼
お答えありがとうございます
過去を追わないことは罪を忘れるようで悪い事だと思って居たのですが、
過去を追わないことは経験したことを忘れず、経験だけに囚われずそこからどうしていくべきかを学んでその学びを今を生きる上で大切にすることなのかと思いました。
良い行いをして今を生きることに専念しようと思います。
私事ですが初めて質問致しましたので本当にお答え頂けるとは思っておらず、すごく救われております。ありがとうございました。