老猫の看取りについて
以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。
前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。
先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。
膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。
膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。
次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。
高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。
膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。
猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。
私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。
だから最良の選択をしてあげたい。
本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。
でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。
お坊さんに質問です。
人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。
同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。
ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。
でもそれは病院で点滴をしなければなりません。
私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。
この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。
私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか?
お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最期まで共に生きる。大きな安心と安らぎになることと思います。
いつかやってくる命の最期に。
看取るということ。
それは人間でも動物でも同じですよね。
良い最期、良い看取り、答えは難しいと思います。何を持って良いとするのかは、みんな違うからです。
あなたがやりたいようにする、そうなればそれはエゴでしょうね。ですが、一緒に生きてきた命を想い、その命が望むことを考えていくということは、とても大事で意味のあることだと思います。
緩和ケアを。痛みを和らげながら、最期まで生き抜いてもらう。死を待つのではなく、共に生ききる。
あなたが最期まで側にいるのです、それは猫ちゃんにとって大きな安心と安らぎになることと思います。
質問者からのお礼
中田様
お返事ありがとうございました。
いろいろ考えて、最後まで悩むと思います。
後悔はしたくないですが、私のエゴにならない様に、うちの子らしい旅立ちになる様に最期まで一緒に生きようと思います。
本当にありがとうございました。