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身近な人との死別を覚悟すること

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

身近な人との死別を最近意識し始めました。就職という段階を経て自分が徐々に歳をとってきたからです。身近な人の死は数回経験しています。

なんとなく怖い嫌だなという寂しい気持ちとそれを意識したら普段接する時もいつか別れが来るんだなと複雑な気持ちになります。

また、普段通りすべきなのか特別何か意識して接するべきなのか疑問にも思います。

自分が幸せであることが孝行であるのはわかりますが、就職という次のステージを前にして環境に対する不安感がとても大きいです。自立することで不安感を軽減してあげることが孝行だとわかりますが自分の正直な気持ちがわからない、自分がどうやったら幸せ、生きていけるのかわからないという気持ちもあります。(おそらく毎日3食食べていけることが幸せだと思います。)

身近な人の死別を意識し出した際、その恐怖心をどのようにして受け入れ、考えておくべきなのか。孝行を果たすために自分の正直な気持ちをどのように見つけたら良いのか。この二点についてご相談させていただきました。何卒よろしくお願いします。

2021年9月8日 8:22

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

受け入れすぎない

ご質問拝見しました。

なかがわさまが感じる思い。
私にもありますよ。
多分、他の人も言葉にはしないけど、みんな持ち合わせている部分があると思います。

なかがわさまは恐怖心を『受け入れ』と仰せになりましたが、私は受け入れる勇気が持てないです(受け入れたら恐怖心に支配されて振り回されそうな気がしてます)
ですから、ある程度の距離(セフティリードというかソーシャルディスタンス)を保ちつつコントロールしている感覚です。

(糖尿や高血圧や肥満にならない範囲での食養生に近い考え方です)

身近な人との別れについては愛別離苦という言葉でお釈迦さまが示してくださいましたが、折り合いをどうつけるかについては『割り切りと補い』が必要だなと考えています。
 
最近、サンデー連載の葬送のフリーレンというマンガにハマっています。
勇者や僧侶と一緒に魔王を倒した魔法使いが、勇者の死後、彼のことをもっと知るべきだったと後悔し、魔王城への旅を新しい仲間とする作品で、旅先で彼との思い出とともに勇者が居た証を辿る内容です。

冷たい言い方ですが、孝行の質や量に関係なく別れはやってきます。
私が思うには、孝行をしたいと思う人が大事にしていた価値観やことば、態度や振る舞い、学んだ教えをなかがわさまが心のフィルターにしっかり焼き付けておく。
このことが大事なように思えています。

私はお釈迦さまや親鸞聖人と同じ時代を過ごしたわけでなく、臨終に立ち会ったわけでもありません。
私が生まれた時にはすでにこの世を旅立った後でした。
でも、お釈迦さまや親鸞聖人の教えは私の心の中で育てています。

明日が当たり前ではないからこそ、今日までの恵みにありがとう。

私が考える孝行、補うべき言葉は
『今までありがとう。まだまだこれからもよろしく』です。
たくさん伝えてあげてください。

健やかなる日々を念じます。

2021年9月9日 9:24
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有り難し
おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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❝親孝行、したい時には親は亡し❞・・・今を大切に。

❝親孝行、したい時には親は亡し❞という諺(ことわざ)があります。あなたは未だご両親ご健在の様で「育ててくれた御恩」に対して、「孝行」しなければ…とお考えなのでしょうね…💛。お優しい方だと思います。キットご両親様が愛情一杯でお育て下さったのだろう、と想像します。
あるお寺の「掲示板」に《お前も死ぬぞ!》と書かれており、それがインスタグラムにアップされ「大評判」になったとか・・・。誰でも、身近な人の「死」を通して、切実に自分の「死」も考えるようになるものです。あなたも「就職」を前に、心が不安定になり、色々な思いが湧いてきているのでしょう(それだけ、本当の意味で「成長」してきたのです。悩んで下さい。必ず「真の孝行」が出来るようになります)。
親というものは、子供が「仕合せ」なら、それ以上の事は望みません。そう、要するにあなたが「自分のやりたい&好きな仕事」に付き、楽しく仕事をしておれば、それで充分です。「孝行」を考える前に、自分がやりたい事を真剣に「探して」下さい。仮に「思い通り」にならなくっても、真剣に考え、頑張ってやった、と納得いく終活をすれば・・・キット親御さんも「喜んで」下さいます。
最後に、一休さんのお言葉;❝心配するな 大丈夫 何とかなる❞。不安になった時10回つぶやいてみて下さい。不安が多少やわらぎます・・・💚。で、何とかなります。終活・・・上手く行くように、蔭ながらお祈りしています。合掌 南旡阿弥陀仏

2021年9月9日 8:44
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

泰庵様、大塚様

お礼のコメントが遅くなり申し訳ありません。心温まるご回答をいただきありがとうございます。

親孝行については、半分わかっているようで半分わかりきれていないというのが本音です。

また、今後の進路については、今日10/21の段階では確定、決断できていません。

追記はできるようですので、また状況が変わりましたら、必ず改めてご連絡いたします。

また、有り難し、おきもちもさせていただこうと考えております。

もしかしたら、またハスノハ上で縁があるかもしれません。今回ご回答いただけたことにしっかり感謝をして、今日1日も無事に過ごしたいと思います。ありがとうございました。

泰庵様、大塚様

お久しぶりです。昨日(2022/06/30)に少額ながらおきもちをお送りさせていただきました。

離別は誰にでもあるものですので、今ある時間を大切に、自身が健康であること、しっかりと学問に励むこと、それが孝行になるのだと考えるようになりました。頼れるところは頼り、1人でもできるようになるべく学び取り、1日1日自信と経験を積み重ねていこうと思います。

ありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ