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身近な人との死別を覚悟すること

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

身近な人との死別を最近意識し始めました。就職という段階を経て自分が徐々に歳をとってきたからです。身近な人の死は数回経験しています。

なんとなく怖い嫌だなという寂しい気持ちとそれを意識したら普段接する時もいつか別れが来るんだなと複雑な気持ちになります。

また、普段通りすべきなのか特別何か意識して接するべきなのか疑問にも思います。

自分が幸せであることが孝行であるのはわかりますが、就職という次のステージを前にして環境に対する不安感がとても大きいです。自立することで不安感を軽減してあげることが孝行だとわかりますが自分の正直な気持ちがわからない、自分がどうやったら幸せ、生きていけるのかわからないという気持ちもあります。(おそらく毎日3食食べていけることが幸せだと思います。)

身近な人の死別を意識し出した際、その恐怖心をどのようにして受け入れ、考えておくべきなのか。孝行を果たすために自分の正直な気持ちをどのように見つけたら良いのか。この二点についてご相談させていただきました。何卒よろしくお願いします。

2021年9月8日 8:22

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

受け入れすぎない

ご質問拝見しました。

なかがわさまが感じる思い。
私にもありますよ。
多分、他の人も言葉にはしないけど、みんな持ち合わせている部分があると思います。

なかがわさまは恐怖心を『受け入れ』と仰せになりましたが、私は受け入れる勇気が持てないです(受け入れたら恐怖心に支配されて振り回されそうな気がしてます)
ですから、ある程度の距離(セフティリードというかソーシャルディスタンス)を保ちつつコントロールしている感覚です。

(糖尿や高血圧や肥満にならない範囲での食養生に近い考え方です)

身近な人との別れについては愛別離苦という言葉でお釈迦さまが示してくださいましたが、折り合いをどうつけるかについては『割り切りと補い』が必要だなと考えています。
 
最近、サンデー連載の葬送のフリーレンというマンガにハマっています。
勇者や僧侶と一緒に魔王を倒した魔法使いが、勇者の死後、彼のことをもっと知るべきだったと後悔し、魔王城への旅を新しい仲間とする作品で、旅先で彼との思い出とともに勇者が居た証を辿る内容です。

冷たい言い方ですが、孝行の質や量に関係なく別れはやってきます。
私が思うには、孝行をしたいと思う人が大事にしていた価値観やことば、態度や振る舞い、学んだ教えをなかがわさまが心のフィルターにしっかり焼き付けておく。
このことが大事なように思えています。

私はお釈迦さまや親鸞聖人と同じ時代を過ごしたわけでなく、臨終に立ち会ったわけでもありません。
私が生まれた時にはすでにこの世を旅立った後でした。
でも、お釈迦さまや親鸞聖人の教えは私の心の中で育てています。

明日が当たり前ではないからこそ、今日までの恵みにありがとう。

私が考える孝行、補うべき言葉は
『今までありがとう。まだまだこれからもよろしく』です。
たくさん伝えてあげてください。

健やかなる日々を念じます。

2021年9月9日 9:24
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有り難し
おきもち


宗派は浄土真宗 なむあみだぶつです。 北陸の小さな田舎町で住職して...

❝親孝行、したい時には親は亡し❞・・・今を大切に。

❝親孝行、したい時には親は亡し❞という諺(ことわざ)があります。あなたは未だご両親ご健在の様で「育ててくれた御恩」に対して、「孝行」しなければ…とお考えなのでしょうね…💛。お優しい方だと思います。キットご両親様が愛情一杯でお育て下さったのだろう、と想像します。
あるお寺の「掲示板」に《お前も死ぬぞ!》と書かれており、それがインスタグラムにアップされ「大評判」になったとか・・・。誰でも、身近な人の「死」を通して、切実に自分の「死」も考えるようになるものです。あなたも「就職」を前に、心が不安定になり、色々な思いが湧いてきているのでしょう(それだけ、本当の意味で「成長」してきたのです。悩んで下さい。必ず「真の孝行」が出来るようになります)。
親というものは、子供が「仕合せ」なら、それ以上の事は望みません。そう、要するにあなたが「自分のやりたい&好きな仕事」に付き、楽しく仕事をしておれば、それで充分です。「孝行」を考える前に、自分がやりたい事を真剣に「探して」下さい。仮に「思い通り」にならなくっても、真剣に考え、頑張ってやった、と納得いく終活をすれば・・・キット親御さんも「喜んで」下さいます。
最後に、一休さんのお言葉;❝心配するな 大丈夫 何とかなる❞。不安になった時10回つぶやいてみて下さい。不安が多少やわらぎます・・・💚。で、何とかなります。終活・・・上手く行くように、蔭ながらお祈りしています。合掌 南旡阿弥陀仏

2021年9月9日 8:44
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有り難し
おきもち


質問者からのお礼

泰庵様、大塚様

お礼のコメントが遅くなり申し訳ありません。心温まるご回答をいただきありがとうございます。

親孝行については、半分わかっているようで半分わかりきれていないというのが本音です。

また、今後の進路については、今日10/21の段階では確定、決断できていません。

追記はできるようですので、また状況が変わりましたら、必ず改めてご連絡いたします。

また、有り難し、おきもちもさせていただこうと考えております。

もしかしたら、またハスノハ上で縁があるかもしれません。今回ご回答いただけたことにしっかり感謝をして、今日1日も無事に過ごしたいと思います。ありがとうございました。

「死について」問答一覧

死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

ある考えに取り憑かれています

少し奇妙な話だと思われるかもしれませんが、お時間いただければ幸いです。 この頃2,3年ほど、頻繁に「死ななくてはならない」という考えが定期的にやってきます。しかし、死にたいわけではないのです。 死ぬということは私にとってはとても恐ろしいですし、いずれ死んでしまうのにわざわざ急ぎたくはないです。 「死ななくてはならない」という考えが出てくる流れは大概の場合 これからも周りの人に迷惑をかけ続けるのなら今のうちに死んだほうがいい、というものですが、これに反論するのは簡単です。 ①死ぬほうが迷惑 ②故意でない迷惑はかけ合って生きていくものだ。などです。 しかしこの「死ななくてはならない」(以下、この考えと表記します) という声はとてもしぶとく、どれだけ論破しようとしても、全て「自分を甘やかして死にたくないだけの言い訳」と思わせてきます。 例えば、「未来の自分が他人にかける迷惑を憂うなんて馬鹿馬鹿しい。そうならないようにいま目標に向かって進んでいるんだ」 と考えると、 「お前みたいなやつが将来どんな貢献ができるんだ。そもそもこんなことをうじうじ考えている時点で頭がおかしいのに、偉そうにほざくな」と、返してしまうのです。 暇さえあればこのような下らない問答を脳内で繰り返してしまうのです。 この考えは大抵非論理的ですが、しぶとく、なにより自己弁護している間抜けさが厄介です。 これだけは確かなことだと信じたいのですが、私は死にたくないです。 自己嫌悪が激しいわけでもなく、自分のこともそこそこ気に入っています。(と自分では思っています。)客観的に自分を見るのは難しいです。 ただ心配なのは、この考えに取り憑かれている時、死というものが軽く感じられてしまうのです。このことはとても失礼で軽蔑するべきだと思います。 おそらく私が恵まれた環境でのうのうと生きているから頭でっかちに考えるのですが、どうか決定的な「この考え」に対しての反論をいただければ幸いです。 なぜなら私はやるべきことがあり、頻繁に思考に時間を割くのが無駄だからです。 長文、拙文失礼いたしました。

有り難し有り難し 11
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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

有り難し有り難し 10
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死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

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