hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きる目的がわからない

回答数回答 1
有り難し有り難し 37

片目がほぼ見えていない。私が幼い頃の健診で指摘され、病院には連れていったが親はそのうち治るだろうと何もしなかった。見えていないことがわかった時に正しいトレーニングを受けていれば視力は改善していたはずだが手遅れだと大人になって医者に言われた。
片目がほぼ見えないことが理由で色々なものが苦手だった。平衡感覚や遠近感が掴めないため、運動も細かい作業も下手だった。段差や奥行が掴めず転ぶことが多かった。唯一視力には関係のない学校の勉強だけは、努力さえすれば結果になるので好きだった。
中学時代、自分が唯一苦手ではない勉強を伸ばしたいと塾に行かせてくれと頼んだ。ようやく三年生になった時に周りのほとんどが塾に通うようになってから行かせてもらえた。塾の講師に行きたい高校は専用の対策をしていないと受からない、受験までの時間が無いので既に手遅れだと言われた。 親はそれを間に受けた。今からでも頑張って受かるだけの勉強をすると言っても無理だった。受験料と時間が無駄になるからと諦めさせられた。
行きたい高校には行けず、大学は行きたいところへと思っていた時に父が病気になった。父はいつ死ぬかわからないと言われていた。進学は家から通える所にと限定された。通える範囲内の自分の望む方面の専門学校は親の思い込みで行かせてもらえなかった。
なんとか妥協点を見つけた大学へ片道3時間をかけて通い、就職氷河期の中で就職活動を行うも過疎が進んでいる地元には求人がなく、遠距離通勤と過労で身体を壊した。
結婚は諦めた。相手の両親が私の目が見えないことで内心反対だと思っていることを知り、それを押し切ろうとは思わなかった。トレーニングで治るものならばなぜ治っていないのか、その疑問は当然だし答えられなかった。
今現在、両親と同居し在宅で仕事をしている。
私が何の楽しみも見い出せず辛いばかりでやりたくもない仕事に耐えている中、いつ死ぬかわからないと言われていた父は20年余りたった今もそれなりに元気にわがまま三昧に、母も老いたながらもそこそこ元気に、好き勝手な言動で在宅業務の邪魔を平然と行う。通話を伴う仕事なので音は立てないでほしいと言っているにも関わらず、大音量でテレビをつけ大声で話す。
老いた両親のその姿を見て、なぜ自分が辛い思いをしながら生きているのか、老いるために生きるのか、生きる目的はなんなのかがわからなくなった。

2021年9月19日 6:40

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなた自身をしっかりと見つめて下さい…

 私も左目が弱視です…ほぼ右目だけで読み書きをしてきた結果、斜視にもなりました。深視力(両眼での視角のズレによる距離感の把握)が極めて弱い為、大型免許の取得は出来そうにありません。
 今でも覚えていますが、幼少の頃 父が私をカブ(バイク)の後ろに乗せて、弱視のトレーニングのため眼科に通ってくれました。少しは視力が上がったと思います。ただ最近知りましたが、視力とはまさに「物(事)を認識する力」であって、その力は極めて幼いときから育まれるものであり、物心付いてからのトレーニングではすでに視力獲得には遅いことが多いとのことでした。
 でも私は父に感謝をしています。「少なくともこんな目の子供にしやがって」と思ったことは一度もありません。
 出来ないことは出来ません。でも片目が見えることで出来ることは一杯あります。
 右脳・左脳とか言いますが、その点では私は目から得た情報を左脳(だけ)で認識、処理して生きてきたわけで、時々 両目が見えていたら もしかすると私は天才だったかもと思うことはあります…バカですね。そんなことはありません…両脳は密接に繋がっているのですから。
 もう出来ないこと探しを止めませんか。他の人・ことのせいにするの止めませんか。誰かを恨むの止めませんか。
 何故なら、御自身がつらくなるだけだからです。
 コップに入った半分量の水を見て「半分しかない」か「まだ半分ある」と受け止めるかで心の在り方が変わります。仏教の説くところです。
 結婚を諦めずに「ご両親との同居」を諦めませんか…親御様からの独立を考えませんか。過去を諦めて、未来をしっかりと見つめませんか。
 あなたには片目がある…物事がしっかりと見えているのです。本当に有り難いことだと受け止めて下さい。
 そのよく見える目で御自身を、また御自身の希望、そして将来こそを見つめて下さい。
 御仏像をご覧下さい…仏様の目は細いのです(半眼と言います)。その半分閉じた目で御自分を深く見つめていらっしゃるのだと伺ったことがあります。
 そしてまた仏様は半眼で、あなたのことをしっかりと見つめて下さっています。
 そのことを受け止め、どうぞ大切な御自身の人生をしっかりと歩んで下さいませ。

2021年9月19日 9:38
{{count}}
有り難し
おきもち


「生きる意味」問答一覧

生まれてきた理由

こんな歳にになっても落ち着いた考え方が出来ていないと思われそうですが、最近まで自分自身の事を客観視しながら答え探しをしておりました。(生まれてきた理由)ずっとみんなと同じような感覚だと私は思ってました。 怒り、悲しみ、喜び、様々な感情はみんな持っていて自身も自由かと思っておりました。 しかし、なぜかみんなと同じ行動しても 私は許されないが相手は平気で発信していることです。私を許さない人は多いです。 常識外れなことではなく、一般的な感情です。 親、子供、過去の同級生、過去も現在も職場の人、常にマウントを取られ頭の中ではちんぷんかんぷん状態にさせられてきました。 相手が勝手に嫉妬をし、嫌がらせや、無視、冷たい言葉を言うなどをしてきました。 何故それが子供の頃から多いのかわからず、人間関係に苦労しています。 決まって似ている人に限ります。 劣等感持っていて、嫉妬感が強く、承認欲求も強い、弱そうな人を見下したいと思っている…似た人からのマウントです。何度も同じ目にあいました。 私がこれかと思うもの、それは罰を受けるために生まれたという答えに行きつきました。 生まれる前の私は、人をバカにし、傷つけ、沢山の人をそういう風な扱いをしていたと思います。そのカルマなのかと思えてきました。 あぁ、私が怒りの感情を持つことも許されないし、一生バカにされる事で罪を償って行く生まれなのかとしみじみ思えてきました。 前世がそういう生き方だったのかも…と。 親や子供からも嫌われていた私は 償いなさいとの知らせだったのかと思ってますが、この世に罰を受けるために生まれてきた人はいると思いますか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

どうせなら、正しく死んで行きたい

10年以上通院している精神科の主治医は自分にとっての人生のメンターであり、白衣を来たその医師の中身はお坊さんのような方で個人的に大変な信頼と尊敬を寄せています。 わたしは今現在も社会から離れた日常で生活しています。日頃、散歩などしていると、はいキマシタ〜心のざわつき、ぼんやりした不安、視線恐怖、本来怒る必要のないイラつき、などなど。認知行動療法により、そんな感じたモノをメモ出来る範囲でメモしておき、クールダウン後日どうなったかデータを見返した結果、95%その不安事項は起きない&思い過ごし(妄想)でした。つまり、都度いちいち反応しない自分が確立されれば気楽な生き方が出来ます。でもコレが物凄く簡単では無い。簡単なのに簡単ではない。毎日積み重ね精進してますが。随分長いこと環境や親のせいにしてましたが、詰まる所こうなった因果は自分に原因があると理解しました。 ◾️わたし自身の質問です。 どうにもこうにも相変わらず「自分を大きく見せたい」という慢の心が健在です。ザ煩悩。 でも、もうそろそろ自分を諦めよう(明らかにする)かな?このままだとなんの覚悟も出来ず、(心が)中途半端に死を迎える気がします。10年前に比べたら疾患は劇的に回復してます。結果1番効いたのは抗精神薬でもなく、閉鎖病棟への入院でもなく仏教の智慧(釈迦の教え)と信頼する主治医との会話の積み重ね、です。が、-1000が-100になったようなものです(未だマイナスという)。焦っては居ません寧ろどう考えても感謝事案。故に焦る。 人は(もれなく)いずれ死ぬにしても自分はコレの為に死ぬ(死ねる)のだ!という目標物が未だ目視できません。 ◾️例えば、歩っているとゴミが落ちてます。自分はいったいいつになったら「心から」拾う事ができるのだろうか?と。多分、それが起点です。 これまで、ボランティア的な事に関心を寄せたり、デイケアに通ったり、精神に関わるあらゆるサービスは結果自分には合いません。もうお疲れお腹いっぱいです。 ちっぽけな分子以下の自分ごときが何、壮大なスケール語ってやがる、と。 我に返りつつ、己に怒りを覚える毎度このパターン。 結局、何も起きない(本来有り難き幸せ)日々目の前の事をやるしか無いのでしょうか?わたしの慢の塊がいつもこう語りかけます。山の頂上に立てたのにな、やらかしたなと。まだやれますか?ザ未練。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

こんな世の中で生きる意味

こんにちは。 私は30代にして初めて世の中(この世は地獄という事実)を知ったような気がします。 職場で母と同世代で私と同じ年頃の娘さんがいらっしゃる方と一年程一緒に働いた頃、その人が衛生当番の日に当番の仕事をし忘れていたらしく、その方はチェック表の担当者に自分の名前ではなく、私の名前を書いていました。 私はその事を同僚に聞かされ、見てみると確かに私の名前で勝手にサインしてありました。 もし、その日出荷分で異物混入が出れば、私が責任を怠ったという事になるでしょうから、その方は素知らぬ顔をしていれば良いのでしょうが、私が恐ろしかったのは、まだ何も事は起こっておらず追い詰められたシーンでもなく、自分がまずいと思っただけで、とっさに私の名前を書かれていたことです。 いつも上手く嫌な仕事をかわし、上手い言い訳でサボられていることも知っていましたが、更に衝撃的な一面を知ってしまい、もしかしたらこの人は空気を吐くように嘘がつける人なのではないかと、ぞっとしました。 私は自分の親のような世代の方の、その行動がとても信じがたく、そこから人と、どう距離を取ってよいのかわからなくなりました。 そのまま体調を崩して現在は仕事についていません。 何を希望に生きて行けばよいのでしょうか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

娑婆のニュース
仏教を知る ブッダの言葉
そらノート

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

縁切り供養寺大法寺