フォースのお坊さん的解釈について
「スターウォーズ」という映画に、フォースという不思議な力が存在します。私は何十回もこの映画を見ているのですが、未だにフォースというものか何かよく分かりません。そこで質問なのですが、お坊さん的にはフォースをどのように解釈しているのか知りたいです。教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
共にあらんことを
拝読させて頂きました。
私も子供の頃からスターウォーズを見て育ってきましたから「フォース」はとても興味を持って成長してきました。
「フォース」は英訳でも「力」ですよね。英語の訳では暴力や権力や強制力や軍事力を表す語彙でもありますが、私なりに考える「フォース」は様々なものごとの間に働いている力というか関係性かと思います。
様々なものごとそれぞれが結びつき合い合ってものごとは成り立っていますし、人間だってそれぞれのご縁の中で関係性の中で生きているというか生かされていますからね。
どれ一つとっても尊い存在ですし、どれ一つとっても欠けてしまっては成り立たない、存在できないのですからね。そういう意味ではつながりという見方もできるのではないかなと私は思います。
フォースを扱うことによって様々な破壊や消滅が映画の中では描写されています、或いは力としても表されていたりします。ダークサイドのシスは自分の欲望や権力の為に相手を抹殺したり虐殺したりしますからね。
とはいえいつも合言葉として用いられる「フォースと共にあらんことを」というのは私達も含めたあらゆる生きものやものごとをも含めた共同体に存在し、共存の意識の様にも感じます。
ですからどちらが正しいとか間違っているとかではなく、どちらが優れているとかどちらが劣っているとかではない共存共栄の関係性や意識だと思います。
できるならば「ウォーズ」つまり争い・戦争ではなく、平和や安心しあいながら、共にお互いを尊重し合い思いやりながら一緒に助け合っていける関係性の中で「フォース」を使ってもらいたいと思いますね。
誰しもが心から安心してお互いを心から尊重し合い共に幸せに生きていくことのできる社会や世界やこの世や宇宙となります様にと切に仏様や神様やあまたの霊位にお祈りさせて頂きます。
そしてそのように心がけて共に生きていきたいですね。
「フォースと共にあらんことを」至心合掌 南無釈迦牟尼仏
理力(フォース)とは関係性であり、生きる希望なのかも
初期のシリーズしか見てない親父なので、十分な論証は出来ません。ルークなんてオビワン・ケノビやヨーダの指導を受けなければ、ヘタレのあんちゃんですよね。技を身に着け、心を磨いて、やっとライトセーバーを使えるようになった。我々坊さんの世界の用語で言えば、参師聞法ということになります。師匠に参じて教えを受け、修行を重ねていくということです。
オビワン・ケノビやヨーダって、禅道場の師家(指導者)的な雰囲気がありましたね。ライトセーバーを使いこなすには、身体能力も必要ですし、技も必要です。そして、精神修養も必要です。参師聞法して学び得た総合力こそ、ファースなんじゃないかなと思っています。そういう意味で、この人から学ぼうという意欲。この者に自分が得てきたものを伝授したいという願い。そういうものの総合力なんだと思います。ファースという固定的なものが存在するわけでは無い。人と人との関係性、師匠と弟子と言う関係性の中で、培われ、力を発揮するものなのでしょう。
と勝手に考えております。思い返してみると、スターウオーズって結構宗教的な要素がありますね。更に余談になりますが、『風の谷のナウシカ』と『アバター』も結構宗教的な要素があったように思います。
質問者からのお礼
考えさせられるご回答でした。
kousyo様、吉田様、ありがとうございます。フォースと共にあらんことを。