弱い自分と昔のトラウマ
小学校の時に人前で上手く発表をできなかったり、読めない漢字があったりで、同級生にひどいことを言われ、いまだにトラウマになっています。自分に自信が持てず、上手く人前で話せなくなりました。緊張をおさえ、平常心で自分の気持ちを話すようになるにはどうしたらいいでしょうか?回りの人が自分をどう見ているかが、すごく気になってしまい、上手くはなせません。小学校の時の嫌な思い出は一生引きずってしまいます。小さな悩みなのですが、何か話すときにこの、トラウマがかなりじゃましてます。よきアドバイスをいたただけますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命ある限り生きる事は懸命に!心は軽く!
トラウマというのは元々心理学用語で「心的外傷」と言いPTSDとも言います。
人が以前に受けた心の傷が癒されないで残っていた場合に、傷を受けたときと似たような場面に遭遇したときなどに、強い嫌悪感を感じたり、自然に振舞えなくなったり、ひどい場合は発作を起こしたりします。この場合の心の傷をトラウマと言うのですが、貴方の場合はこれに殆ど当てはまる様です。
トラウマをこれまで引きずって来られたのですから治す事は時間がこれまで来た時間掛かると思われも間違いでは無い様です。
これは病気そのものですので病院(心療内科)などにご相談されるのも一つの方法ではとも思われますが、他に方法があるとすれば受け止めてしまう!事が大事でしょう。
無理に直そうとすればするほど心に負担になり益々プレッシャーをかけてしまいます。
ここでは私は病気なんだと言う事を自分にしっかり言い聞かせる事がしっかり受け止める事になりこれも自分なんだと認めてしまうのです。自分の一部として!
他人はは貴方が気にするほど貴方を見てもいないし思ってもいません!
貴方だけの見方だけが駆け巡っいるだけなんです。
皆人は色んな経験を経て生きて行きそしてこの世を去る時が平等にきます。この世が出来て全ては消えては無くなりまたあらわれる。人は「逢って別れて 別れて逢って」の繰り返しなのです。人類の命の誕生より現在までに一人の人が生きた期間はほんの一瞬で瞬き。つゆ草の露が落ちる一滴の様なものなのです。
しかし命ある限り生きる事は懸命に!心は軽くです!
「しゃれこうべ、並べて見れば皆同じ」生きて居る時は色んな顔、心、悪人、善人、偉い方、貧しい人、お金持ち、等様々な人がいたけど死んでしまえば誰が誰だか分からないこれがこの世の定めと一休禅師が言われています。
「いやな風もあろうが 柳かな」気楽に成る様にしか成らないんです。この気持ちが今のあなたには必要に思えます!
ガンバってはいけません。普通に心静かに保つ「禅定」なる事を。
質問者からのお礼
ご丁寧な回答をありがとうございました。あまり、思い詰めずに、受け止め、それを自分の一部とすること、また、心療内科も受診するのもひとつの考えですね。明日から、もう大丈夫とは言えませんが、少しでも前に踏み出して行ければと思います。心が少しだけ軽くなりました。悩みはひとそれぞれです。小さな小さな悩みでも心の中に有る限り笑顔がなかなか出せません。でも、もう少し冷静になって自分とむきあってみます。ありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。