凄惨な死に方をされた方の人生について
戦争、災害、人災、事故などで凄惨な死に方をされる人がいますよね。
以前、人は産まれる前に自分の人生を知ってから産まれてくるとか、壮絶な体験をする人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでると聞いた事が有りますが、本当でしょうか?
私自身、幼い頃から今も病気で辛い思いをして、健康な人は体験しないことを良くも悪くも経験してきましたが、産まれる前に自分で選んだとは思えません。
また、戦争や事故で亡くなった方は、どんなことがあったのか伝えるために、そのような生き方?亡くなり方?を選んできたのでしょうか?
戦争などで亡くなられた方が体験したことを知るのは大切なことだと思います。
私は遺体の写真などをみて何があったのか事実を知りたいのですが、夫は興味がないそうです。
価値観の違いなので良いのですが…
お聞きしたいのは、
凄惨な亡くなられた方をする人は自ら選んできたのか?
また、後世に伝える為に起きたのか?
仏教ではどう考えるのかです。
そして、何が起きたのかを知る事は供養になりますか?
教えてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは運命論です.差別に繋がる運命論を仏教では否定します
「生まれる前に、ある理由を持って生まれてくる」とか、「最初から死に方が決まっていた」こうした人生の結果はすでに運命によって決まっているとする考え方を運命論や決定論と言います。お釈迦様はこうした考え方を否定されています
「人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでいる」などという事を仏教は言いません。お釈迦様の時代からすでにこうした運命論は流布していました。しかし釈迦はそうした考え方を人間が作り出した迷いだとして否定しているのです
お釈迦様は死後のあり方を質問された時答えなかった(無記)と言われます。それはそうした形而上学的、実際に分からない事をいくら考えても、今の自分の救いには無関係だからです。仏教の考え方からすれば、人間は業縁存在と捉えます。縁さえあればどんな目にも合うのが人間だ。そしてそこに理由などない、たまたま賜った生命を生きている、そしてどんな人でも縁さえあればどんな目にあうか分からない。そしてそれは選べないのだと言います。だからこそ、人間の生は苦しい、そして厳粛です。縁によってはどんな目にも合ってしまう人生をどう生ききるのか、どう苦から脱離できるか徹底して実践論を説いたのが仏教です。問われているのはあなたの生き方なのです
では、虐待された子は運命だったのか?凄惨な亡くなり方をされる人は自ら選んだのか?そうした運命論はどこに問題があるかと言えば、一つはそれは差別になるでしょう。あの人はああいう運命だったとすれば、その人の生をその人が何をしても変わらないとする見方になる。それは人間を固定したものとみる差別になります。そして社会問題としての側面を見えなくしてしまいます。例えば、奴隷状態の人が苦しむのは奴隷制度という制度のせいなのです。本来制度や社会の方を変えなければいけないのに、個人の問題にしてしまう。戦争なども社会問題です
さらに、死の1点でその人の人生を押える事は、その人の生き方を無視することに繋がります。死に方で人間を捉えてはならないのです。これも差別です。その人がどんな生き方をしようが、どんな喜びを得ようが、その事を無視することになる。その人の生き方を無視することになる。釈迦はその人の生き方が大事なのだと説きました。ですから、その人の死に様は問いません。(千字しか書けないので今回はここまでにします)あなたはなぜその事が気になるのか?その事を考えてみて下さい
質問者からのお礼
釈義光様
ありがとうございます。
お釈迦様は運命論は否定されているのですね。
私も運命を感じるというより、ご縁を感じることが多い気がします。
凄惨な亡くなられた方を見聞きする度に、その人が自ら選んできたとは思えずに疑問でした。
戦争など一般人が被害に遭うのも納得がかないです。
そんな死に方をする為に生まれてきたとはおもいたくないです。
釈義光様のおっしゃる通り、死に方で、その人の幸せや人生の喜びなどがなくなるとは思いたくありません。
戦争映画で日常生活を描いたシーンをみると、今の私たちと同じだなと感じたり、逆に自分だったらどうしたかな?と考えるきっかけになったりしますし、生きている幸せがあったと信じたいです。
もし私が何か災難にあったとして、それが誰かの役に立つのなら後世に伝えてもらいたいと思います。
夫は見られたくない残したくないと言います。
以前、原爆の語り部さんが「知る事、想像すること、語り合うこと」が大切と仰っていて感銘をうけました。
もし、もうひとつ教えていただけるのなら、凄惨な亡くなられた方のことを知る事は供養になりますか?
資料館などへの寄付等はしているのですが、まずは気持ちが大切かと。