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凄惨な死に方をされた方の人生について

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戦争、災害、人災、事故などで凄惨な死に方をされる人がいますよね。

以前、人は産まれる前に自分の人生を知ってから産まれてくるとか、壮絶な体験をする人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでると聞いた事が有りますが、本当でしょうか?

私自身、幼い頃から今も病気で辛い思いをして、健康な人は体験しないことを良くも悪くも経験してきましたが、産まれる前に自分で選んだとは思えません。

また、戦争や事故で亡くなった方は、どんなことがあったのか伝えるために、そのような生き方?亡くなり方?を選んできたのでしょうか?

戦争などで亡くなられた方が体験したことを知るのは大切なことだと思います。

私は遺体の写真などをみて何があったのか事実を知りたいのですが、夫は興味がないそうです。

価値観の違いなので良いのですが…

お聞きしたいのは、
凄惨な亡くなられた方をする人は自ら選んできたのか?
また、後世に伝える為に起きたのか?
仏教ではどう考えるのかです。

そして、何が起きたのかを知る事は供養になりますか?

教えてください

2021年9月23日 22:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは運命論です.差別に繋がる運命論を仏教では否定します

「生まれる前に、ある理由を持って生まれてくる」とか、「最初から死に方が決まっていた」こうした人生の結果はすでに運命によって決まっているとする考え方を運命論や決定論と言います。お釈迦様はこうした考え方を否定されています
「人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでいる」などという事を仏教は言いません。お釈迦様の時代からすでにこうした運命論は流布していました。しかし釈迦はそうした考え方を人間が作り出した迷いだとして否定しているのです

お釈迦様は死後のあり方を質問された時答えなかった(無記)と言われます。それはそうした形而上学的、実際に分からない事をいくら考えても、今の自分の救いには無関係だからです。仏教の考え方からすれば、人間は業縁存在と捉えます。縁さえあればどんな目にも合うのが人間だ。そしてそこに理由などない、たまたま賜った生命を生きている、そしてどんな人でも縁さえあればどんな目にあうか分からない。そしてそれは選べないのだと言います。だからこそ、人間の生は苦しい、そして厳粛です。縁によってはどんな目にも合ってしまう人生をどう生ききるのか、どう苦から脱離できるか徹底して実践論を説いたのが仏教です。問われているのはあなたの生き方なのです

では、虐待された子は運命だったのか?凄惨な亡くなり方をされる人は自ら選んだのか?そうした運命論はどこに問題があるかと言えば、一つはそれは差別になるでしょう。あの人はああいう運命だったとすれば、その人の生をその人が何をしても変わらないとする見方になる。それは人間を固定したものとみる差別になります。そして社会問題としての側面を見えなくしてしまいます。例えば、奴隷状態の人が苦しむのは奴隷制度という制度のせいなのです。本来制度や社会の方を変えなければいけないのに、個人の問題にしてしまう。戦争なども社会問題です
さらに、死の1点でその人の人生を押える事は、その人の生き方を無視することに繋がります。死に方で人間を捉えてはならないのです。これも差別です。その人がどんな生き方をしようが、どんな喜びを得ようが、その事を無視することになる。その人の生き方を無視することになる。釈迦はその人の生き方が大事なのだと説きました。ですから、その人の死に様は問いません。(千字しか書けないので今回はここまでにします)あなたはなぜその事が気になるのか?その事を考えてみて下さい

2021年9月24日 10:45
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有り難し
おきもち


浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...

質問者からのお礼

釈義光様
ありがとうございます。
お釈迦様は運命論は否定されているのですね。
私も運命を感じるというより、ご縁を感じることが多い気がします。

凄惨な亡くなられた方を見聞きする度に、その人が自ら選んできたとは思えずに疑問でした。
戦争など一般人が被害に遭うのも納得がかないです。
そんな死に方をする為に生まれてきたとはおもいたくないです。

釈義光様のおっしゃる通り、死に方で、その人の幸せや人生の喜びなどがなくなるとは思いたくありません。
戦争映画で日常生活を描いたシーンをみると、今の私たちと同じだなと感じたり、逆に自分だったらどうしたかな?と考えるきっかけになったりしますし、生きている幸せがあったと信じたいです。

もし私が何か災難にあったとして、それが誰かの役に立つのなら後世に伝えてもらいたいと思います。
夫は見られたくない残したくないと言います。

以前、原爆の語り部さんが「知る事、想像すること、語り合うこと」が大切と仰っていて感銘をうけました。

もし、もうひとつ教えていただけるのなら、凄惨な亡くなられた方のことを知る事は供養になりますか?

資料館などへの寄付等はしているのですが、まずは気持ちが大切かと。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

自分の行く場所

「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492  ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。

有り難し有り難し 15
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死因による魂の行先

大好きな父を病気で亡くしました。 若いうちに私を産んだのに、きちんと育ててくれて成人させてもらえました。 私はパパが大好きで、ファザコンと言われる程仲良しです。父に限らず家族が大好きでしたが、父が1番の味方でした。私はインドアで1人が好きで、友達ですらも人と過ごすのが苦手で。 なので休みの日はいつも父と一緒でした。いつも私のワガママに付き合ってくれました。 急性と名のつく病気だったためありがとうもごめんねも言えず、どのくらい痛いのかどのくらい苦しいのか、何か伝えたいことがあったのかどうか、父の言葉も何も聞けず。 私はいつか絶対に父に会いたいのです。父と母からもらったこの身体と命を自分の手で無駄にしない為には、死後の世界に縋るしか生きる希望がないのです。 本題ですが、 自死をした場合は、天寿を全うした人達と同じ世界には行けない、即地獄行き、自死は罪なのでカルマがどうのこうの、沢山調べました。 これらは本当なのか、少しでも自死をする人を躊躇させるため減らすために適当に作られたものなのか。 そもそも死因によって魂の行先は変わるのか。 仮に私が自死をしたら、病死した父には会えないのか会えるのか。 知りたいです。 もちろん死後の世界のことは誰にも分かりませんから、私が見漁ったWebサイトよりも信用出来るお坊さんの考え方が知りたいだけです。 別に死ぬつもりも度胸もないので私を止めるための綺麗事は必要ありません。死について調べてる間に見飽きました。 自死でもお父さんに会えるよ!という返答が来たからと言ってじゃあ自死します!ともなりませんので、変に気遣わずそのまま元々のお考えを教えていただければ嬉しいです。 お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 47
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