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凄惨な死に方をされた方の人生について

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有り難し有り難し 26

戦争、災害、人災、事故などで凄惨な死に方をされる人がいますよね。

以前、人は産まれる前に自分の人生を知ってから産まれてくるとか、壮絶な体験をする人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでると聞いた事が有りますが、本当でしょうか?

私自身、幼い頃から今も病気で辛い思いをして、健康な人は体験しないことを良くも悪くも経験してきましたが、産まれる前に自分で選んだとは思えません。

また、戦争や事故で亡くなった方は、どんなことがあったのか伝えるために、そのような生き方?亡くなり方?を選んできたのでしょうか?

戦争などで亡くなられた方が体験したことを知るのは大切なことだと思います。

私は遺体の写真などをみて何があったのか事実を知りたいのですが、夫は興味がないそうです。

価値観の違いなので良いのですが…

お聞きしたいのは、
凄惨な亡くなられた方をする人は自ら選んできたのか?
また、後世に伝える為に起きたのか?
仏教ではどう考えるのかです。

そして、何が起きたのかを知る事は供養になりますか?

教えてください

2021年9月23日 22:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは運命論です.差別に繋がる運命論を仏教では否定します

「生まれる前に、ある理由を持って生まれてくる」とか、「最初から死に方が決まっていた」こうした人生の結果はすでに運命によって決まっているとする考え方を運命論や決定論と言います。お釈迦様はこうした考え方を否定されています
「人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでいる」などという事を仏教は言いません。お釈迦様の時代からすでにこうした運命論は流布していました。しかし釈迦はそうした考え方を人間が作り出した迷いだとして否定しているのです

お釈迦様は死後のあり方を質問された時答えなかった(無記)と言われます。それはそうした形而上学的、実際に分からない事をいくら考えても、今の自分の救いには無関係だからです。仏教の考え方からすれば、人間は業縁存在と捉えます。縁さえあればどんな目にも合うのが人間だ。そしてそこに理由などない、たまたま賜った生命を生きている、そしてどんな人でも縁さえあればどんな目にあうか分からない。そしてそれは選べないのだと言います。だからこそ、人間の生は苦しい、そして厳粛です。縁によってはどんな目にも合ってしまう人生をどう生ききるのか、どう苦から脱離できるか徹底して実践論を説いたのが仏教です。問われているのはあなたの生き方なのです

では、虐待された子は運命だったのか?凄惨な亡くなり方をされる人は自ら選んだのか?そうした運命論はどこに問題があるかと言えば、一つはそれは差別になるでしょう。あの人はああいう運命だったとすれば、その人の生をその人が何をしても変わらないとする見方になる。それは人間を固定したものとみる差別になります。そして社会問題としての側面を見えなくしてしまいます。例えば、奴隷状態の人が苦しむのは奴隷制度という制度のせいなのです。本来制度や社会の方を変えなければいけないのに、個人の問題にしてしまう。戦争なども社会問題です
さらに、死の1点でその人の人生を押える事は、その人の生き方を無視することに繋がります。死に方で人間を捉えてはならないのです。これも差別です。その人がどんな生き方をしようが、どんな喜びを得ようが、その事を無視することになる。その人の生き方を無視することになる。釈迦はその人の生き方が大事なのだと説きました。ですから、その人の死に様は問いません。(千字しか書けないので今回はここまでにします)あなたはなぜその事が気になるのか?その事を考えてみて下さい

2021年9月24日 10:45
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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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質問者からのお礼

釈義光様
ありがとうございます。
お釈迦様は運命論は否定されているのですね。
私も運命を感じるというより、ご縁を感じることが多い気がします。

凄惨な亡くなられた方を見聞きする度に、その人が自ら選んできたとは思えずに疑問でした。
戦争など一般人が被害に遭うのも納得がかないです。
そんな死に方をする為に生まれてきたとはおもいたくないです。

釈義光様のおっしゃる通り、死に方で、その人の幸せや人生の喜びなどがなくなるとは思いたくありません。
戦争映画で日常生活を描いたシーンをみると、今の私たちと同じだなと感じたり、逆に自分だったらどうしたかな?と考えるきっかけになったりしますし、生きている幸せがあったと信じたいです。

もし私が何か災難にあったとして、それが誰かの役に立つのなら後世に伝えてもらいたいと思います。
夫は見られたくない残したくないと言います。

以前、原爆の語り部さんが「知る事、想像すること、語り合うこと」が大切と仰っていて感銘をうけました。

もし、もうひとつ教えていただけるのなら、凄惨な亡くなられた方のことを知る事は供養になりますか?

資料館などへの寄付等はしているのですが、まずは気持ちが大切かと。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
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