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嘘つきとカンニングと泥棒

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有り難し有り難し 13

初めまして。この度は私の質問を拝見して頂きありがとうございます。

私は、今、社会人になって働いています。しかし、学年の頃、度々悪いことをしてしまい、最近その事を怒涛のように思い出し、後悔に苛まれています。

悪いこととしては、
①試験の時、前にある時計を見ようとしたら、前の人の回答を1問見てしまったこと(目が悪すぎて、問題文は分かりませんでしたが、多分上から2番目に◯をつけているから、私の思っている回答と合っているなと思い◯をつけてしまいました)

② テストの時、回答をやめてくださいと言われても回答してしまったこと

③ 母親のお財布から勝手にお金を取ってしまったこと(全てお金は返済しましたか、謝罪はまだです)

④ 1年程、連絡を取っていた男性に、SNSのアカウントを削除するから、また連絡するねと言ったまま、連絡をしていないこと(ずっと連絡を辞めたかったので、私的には連絡はしないままでも良いが、もし、連絡を待っていたら、すごく申し訳ない気持ちになったため)

⑤ 友人にご飯に誘われたが、行きたくなく、嘘をついて断ってしまったり、フェードアウトをしてしまったこと

⑥どこかに行く時は、両親に誰と会うのかどこに行くのかを言わないといけないのに、男性と出掛けることを言いたくなく、女友達と出掛けると嘘をついてしまったこと

など、自分の保身のために行ってしまった事が多くあり、何でこのようなことをしてしまったのだろうかと後悔しています。

テストの件は、これから受ける資格や検定で2度と同じことをしないと心に誓っています。
また、お金の件も近々母親に会うため、その時に謝罪しようと思っています。
しかし、嘘については2度とやらないとと思ってもまた、同じことを繰り返してしまいます。何故、私は相手のことを考える事が出来ず、自分を優先してしまうのでしょうか。また、こんなに沢山悪いことをしてしまった私は、これからどうやって生きて行けば良いのでしょうか?

長々と書いてしまい大変申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

泥んこは✖ではなく花を咲かせ実りの為のベースに活用する。

世の中にある「悪いことをしてはいかん・良いことをしなさい」という道徳的な教えは、それによって苦しむためではなく、最終的にこの世界で誰にも危害を加えない善玉菌的な働きとなっていただくための人の心の向かい先・方向性を示した教えですので、悪いことをしたから私は今後もずっとダメなんだぁではなく、今日のあなたがそれを学びとしてどうまっとうに、善良に、迷いなく、胸を張って、自信をもって、生きていけるかどうかなのです。自分を責めるだけで終わる人生はだめです。カルトや詐欺や悪意のある人間の叱責はその心理を利用して相手を追い込むだけ。そして相手を利用する。それは人としての導き先がなく、そういう叱責をする人間そのものが尊敬される態度ではありません。
よって、今までの過去の行動について。
①試験の時、自分の答と合っているなと思い◯をつけてしまいました。
☛どのみちそれに〇をしたでしょうから結果オーライ。
② テストの時、回答をやめてくださいと言われても回答してしまったこと。
☞世の中の学生の半数以上がやってます。(笑)
③ 母親のお財布から勝手にお金を取ってしまった。
☞老後の面倒しっかり見てあげてね。それは良くないってわかったよね。結果オーライ。
④ 1年程、連絡を取っていた男性に、また連絡するねと言ったまま、連絡をしていないこと。
☛むしろ、とらないほうが身のため。SNSは危険がいっぱい。女性は狙われています。無視、無視。
⑤ 友人にご飯に誘われたが、フェードアウトをしてしまった。
👉今はコロナで誘われても要っちゃダメ。行きたくないという自分の意志を貫いてオッケー。
⑥どこかに行く時は、両親に言わないといけない~女友達と出掛けると嘘をついてしまったこと。
👉年頃の女性も男性もそういうものです。ただし、危険な橋は渡らない。親御さんもあなたの防衛の弱さを心配してくれて言ってくれているだけ。ちゃんと身を守れば問題なし。
よって、過去の経験を活かしてそれらを学び、学習、向上のタネ、縁、バネ、肥やし、薬となしてあなたが自分で自分なりにこの世の中で誰かのお役に立てたり、自分なりに手ごたえを感じる生き方に導いてあげてください。
人間の世界には絶対悪と絶対的な善があります。
あなたを罪で苦しませるだけではなく、そこから学びとして前進・善導する生き方をなさってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

この度は、とても素敵なアドバイスをありがとうございました。
今まで、何で自分はダメなんだろうとしか思ったことがなかったので、ハッとすることが多かったです。
今までの経験を糧にして、学びや薬として自分自身や他の誰かに活かしていきたいと思います。

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