自分の行く場所
「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を
分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて
段階があります。
地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。
こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。
https://biz.trans-suite.jp/20492 ←こちらのサイト様です
と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか?
天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。
不安です。
というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。
人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。
自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・
生きてるのもしんどくなりますね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
来世のために生まれてきたのではなく、今を生きるために今があり
簡略しても仏の世界とは伝えるには難しいものですが、来世のために私たちはこの世に生まれてきたのではないということです。
仏とは釈迦だけをさすものでなく、さとりを開けるからこそ、仏の教えがあります。
個々の心境により誰もがさとれる教えであり、キリスト教のように亡くなると天国に向かうという宗教観念とは別物になると思ったいただいたほうがよいかと思います。
私たちは仏教でいう刹那という瞬間を生きています。過去は瞬時に過ぎ去り、過去にとらわれるというものは執着とします。釈迦は「過去は追うな、未来を願うな、今を生きなさい」と言っており、これが釈迦の賢答となります。時代変遷により釈迦の教えにも派生されていき、様々な経典が説かれていきました。
釈迦は常々、対機説法という方便を屈指された方法により人々を教化していかれました。
人間の根底には勧善懲悪の心が備わっています。勧進することを日本仏教では主としています。六波羅蜜というものです。基本軸は「利他行」です。
何かをしたから、自分によいことが返ってくるという目に見える物質的要素は即座にはできないものであるからこそ、利益という(自利)を考えて行動すれば、いつまでも功徳があっても気付きにくくなるものです。
心を清浄にしていくことで、見えなかった本質が観えてくるものです。
「思いやり、やさしさ」は大切でありますが目にはまったく見えません。
釈迦は「過去の原因を知りたければ、現在の結果を見よ。未来の結果を知りたければ現在の原因を見よ。」と説きます。
今までに生きる意味を見出せないから、今までの経験をこれからの未来の自身に置き換えないことをもつことが大切です。
いつが一番若いという質問があるとすれば、仏教では「今が一番若い」ととらえます。それは今、生きている今だからです。
人生には虚無感や苦難が訪れるものであり、生まれたときから浄土決定であれば、人間として生まれてくる必要はありません。人生は四苦八苦です。まさに泥中の蓮で私たちは生きていくことで、人生はおだやかになっていきます。
質問の返答には値しない内容ですが、一つ参考程度としてとらえてください。
「人は悩むからこそ、人生に深みがでていくものであり、悩みのない人には人生を謳歌する意味さえ見出せないものです。出会いで人生は深まり、別れで人生は深まっていくものですよ。」
合掌
こんにちは。
閻魔様は、「地獄の王」のイメージがあり、地獄絵などにも描かれていますが、人は亡くなってから49日間、7日ごとに閻魔さまを含む「十王」のうち七名の裁判官による裁きをうけて、次の生が決まるとされているので、おっしゃる通り、閻魔様が地獄にいてはおかしいですね。怖さの演出のために地獄図に閻魔様が描かれているのでしょう。
どちらにしても、地底をどんなに掘ってもそのような世界はありませんので、想像の世界と考えて良いでしょう。
地獄は悪いことをした人を罰として落とす場所ではなく、地獄がイヤだから悪いことをしないように気をつけさせるための場所です。悪いことをしても反省してやり直せば地獄ではありません。
地獄がイヤだから善い行いをする、最初はそれで良いのです。善い行いは死後の世界の地獄極楽関係なく、それをした瞬間気持ちが良くなります。気持ちが良いことは何度もしたくなります。そのうちに自然と悪いことができなくなります。善いことをしたくてしたくてたまらなくなります。仏教はそこをめざしているのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。