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マインドコントロールって?

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こちらのサイトでは、同じ相談に対して、いろんな宗派のお坊さんからのご意見を戴けるのでとても参考になります。

ただ、いろんなお坊さんがいらっしゃるので、その文章・文体・内容から「合う・合わない」ということがあるなぁって実感しています。

「自分のことを理解してくれている、こういう言葉を聞きたかった」という場合と、「誤解されている、理解してくれない、質問の意図が違う」などという場合があり、ついつい、「自分に合う回答を重要視してしまう」という気がしています。

そこで、質問です。
世間に良くある「新興宗教や占いにハマってしまい、盲信してしまう人」の始まりは同じなのでは無いでしょうか?

自分に合わない意見は取り入れず、自分に合う意見ばかりを信じてしまう。
ふと気づけば、周囲の家族や世間一般の常識からかけ離れた考え方に染まってしまった「マインドコントロール」状態に入ってしまっている。

「この人の意見は合う、この人の意見は合わない」ということと、「この人の意見だけを信じる」というマインドコントロールの違い、ボーダーラインはどこなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「私の言葉を信じるな」。

世の中には「信じなさい、そうすれば救われる」「信じなければ地獄に落ちる」と煽る宗教もあります。しかしお釈迦さまは、こうおっしゃいました。

「私の言葉を信じるな」。

伝統だからと信じるな。皆がそう言っているからと信じるな。経典に書いてあるからと信じるな。自分の見解に合うからと信じるな。偉大なブッダの言葉だからと信じるな。
「自らの智慧で実践し理解するまでは、簡単に信じてはいけない」。

自分で考察し、行動し、確認したならば、もはや「信じる」必要すらなくなります。お釈迦さまは、時代、人種、性別身分を越えた「万人に合う普遍の法」を説かれた方です。真理の法は「自分に合うか、理解できるか」なんてちっぽけな次元から、かけ離れたところにあります。

仏の教えは、耳で聞き頭で考えただけで恩恵にあずかることはできません。薬の効能書きだけ読んで、実際には飲まないようなものです。自分の病を治してくれる薬は、必ずしも飲みやすく甘いものばかりではないかもしれません。

悟りを開かれたお釈迦さまがいちばん最初に出会ったのは、ウパカという遊行者でした。彼は幸いにも覚者と出会い言葉を交わしながら、理解ができずその場を去ってしまいました。目の前に真実の答えがあっても、受け取れるか受け取れないかは、その人の機縁も大いに関わっています。ちなみにウパカはその後さまざまな経験を積み、最終的には仏教の僧侶となりました。

「世間によくある、マインドコントロールされる人」のことは、ひとまず置いておきましょう。私たち自身にも「今の自分にとって合う、受け入れやすい、耳当たりの良い」言葉だけを受け入れがちな弱点があるという現実を、一度立ち止まってよく観察してみませんか。

「合う」と鵜呑みにするのではなく、「合わない」と思考停止するのではなく、ご自身なりに咀嚼・熟成しながら、日々の暮らしの中で最良の答えを見出していただければと願っております。仏教は、誰かから答えをもらう、導いてもらうというような教えではありません。自らを幸せに生かす道を、自らが実践を通して明らかにする。そういう教えです。
私(たち)はまだまだ未熟者ではありますが、仏縁あってこの場にご質問をお寄せくださったみなさまと、ともにお釈迦さまの教えにあずかり、仏の道を歩ませていただければ何よりの幸甚と存じております。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

〜でなければならない!って思ったら危険信号

マインドコントロールって怖いですね。

それも知らず知らずに引き込まれているって言うのが怖い所です。
私はマインドコントロールについて聞かれた時はいつもこう答えています。
ま、変に理屈っぽく考えずにここをチェックしてみてください。

〜でなければならない!

絶対〜が正しい!

〜意外は信じたら大変な事になる(地獄に堕ちるとか、不幸になるとか…etc)

上記のように、もし思ったり言ったりしているのに気がついたら、
マインドコントロールかなって疑ってみたらいいと思います。

もしかしたら絶対という言葉程人を迷わす言葉はないのかもしれません。
正しいという言葉も条件により場所により変わるものです。
そういったあいまいな言葉を振りかざす時、注意が必要ではないでしょうか?

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

拒絶するか否か

よいご質問です。また、回答に関するご意見、耳が痛く、参考にさせていただきます。

>「この人の意見は合う、この人の意見は合わない」
これは、複数の意見を比較吟味しています

>「この人の意見だけを信じる」
これは他の意見は拒絶しているように感じます

そこが、違いではないでしょうか。比較吟味しているという自覚があるのなら大丈夫です。比較の仕方に問題があるのではと言われると、確かにそういうこともあるでしょう。でも、それはその人の好みですから。

カルト宗教におけるマインドコントロールの怖いところは目的の為に「自分、あるいは誰かが不幸になってもそれは仕方ないこと」と思えてしまうところではないでしょうか。宗教って心を豊かにするためにあるんですから、不幸になっちゃいけないし、させちゃいけないですよね。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

情報の扱い方について

すっぴん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

問い「新興宗教の勧誘の断り方は?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1005297464.html

この拙回答内でも下記において参照として引用させて頂いておりますが、宗教に対する態度としては、盲目的・妄信的・狂信的な信仰は誠に危険であり、できるだけ批判的・合理的に検証を繰り返すことに努める中で、厳しく吟味していくことが求められるものであるかと存じております。

これは、また、特に宗教に限ったことではなく、政治や経済、金融、事件など日々の時事のニュースでも同様に言えることであると考えております。

とにかく、何事においても思考停止には安易に陥らずに、しっかりと情報収集と分析、検討、議論、時に客観的に俯瞰・鳥瞰視して鑑みてみること、更には、批判的・合理的な検証も行いつつに、自らの考え方や思想・信条を醸成させていくことが必要であるかと存じます。

問い「新興宗教をやっている夫。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002973021.html

『・・盲目的・妄信的・狂信的な信仰は誠に危険でございます。このことは、仏教、宗教・信仰について携わらせて頂いている者と致しましても十分に気をつけなければならないと存じております。そのため、拙生自身も、仏教の学びにおきましては、できるだけ批判的・合理的に検証を繰り返すことに努めて参りたいと考えている次第でございます。・・』

問い「師を探すには」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002848305.html

『・・チベット仏教における教えの中に、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返して、しっかりと納得した上にてその教えを修習することが大切なことになって参ります。・・』

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

法昌さま、回答ありがとうございます。
 〜でなければならない!
 絶対〜が正しい!
 〜意外は信じたら大変な事になる
とてもわかりやすいチェックですね。私自身「絶対」とか、「正しい」って言葉を使ってしまいそうなので注意したいと思います。ありがとうございました。

天野和公さま、回答ありがとうございます。
お釈迦さまが「私の言葉を信じるな」と言われたという話は初めて聴いたのでとても興味深く読ませて頂きました。
そして、ふと、「お坊さんからの回答だからと信じてはいけない」と思い、早速、自分で考察させて頂きましたところ、それらしきサイトを発見しました。
http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Ekayana/kesamuttisutta/index.htm
これは、Aṅguttara Nikāya, Tikanipāta(増支部三集篇)に収録されている“Kesamuttisutta[ケーサムッティスッタ]”という経とか。

Kālāma suttaに説かれる法を弁別する為の十の憲章
No. Pāli原文 日本語訳
1 mā anussavena 風説に依らない
2 mā paramparāya 伝承に依らない
3 mā itikirāya 伝聞に依らない
4 mā piṭakasampadānena 聖典集の所伝に依らない
5 mā takkahetu 推論に依らない
6 mā nayahetu 公理(定式化された理解)に依らない
7 mā ākāraparivitakkena 類比に依らない
8 mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā 深慮され達された結論への同意に依らない
9 mā bhabbarūpatāya 有能そうな者の言葉に依らない
10 mā samaṇo no garūti その沙門が(我等の)師であるという理由に依らない

盲従するな、盲信するな、自分で考察し、行動し、確認すること。

大変良いアドバイスを頂きました。ありがとうございます。

増田 俊康さま、回答ありがとうございます。

拒絶するか否か、確かにそこの所が大切だなぁって思います。
ただ、私自身を振り返ると、「違う意見を一応聞いているけれど、受け入れてない」って場合もありそうだなぁって思います。自分自身では「比較吟味している自覚」があるつもりでも、客観的にみたら、違う場合もあるのかもなぁって気がします。
難しいですね・・・。

「感情のコントロール・気持ちの整理」問答一覧

心を安定させたい。

私の悩みは、最近自分が自分でないように感じることです。 やたらふわふわ・もこもこしたもの、温かいもの、人との関わりが恋しくなってしまって、私は一体どうしてしまったのだろうと思っています。 特に人との関わりでは、人に大切にされたい、ぎゅっとしてほしいとか触れ合いたいとかいう気持ちがとても強く、パートナーみたいな人がいてほしい、と願ってしまいます。 私は前から好きな人がいて、その人にパートナーになってほしいと思っていたのですが、(もとから頼りすぎてはいましたが)最近は特に彼氏でもないのに甘えすぎてしまっています。 もちろん向こうは私を友達としてしか見ていないので、私がほしいもの(パートナーとしての愛情とか、支え)をくれるわけではありません。でも、その友達としての優しさ?にすら甘えてしまいます。結局、友達としての線引きが見えて辛いのに。 なので、私はこの人のことが好きなのではなく、パートナーに甘やかしてほしい、支えてほしいという理想を押し付けているか、依存しているだけなのではないかと思いはじめました。とにかくその人と話したくて、一緒にどこかに行きたくて、そのためになにかしら口実を探したりとかもう普通じゃないんです。 ここで、私について説明します。 私は今年の冬、大学を再受験するので受験勉強をしています。 しかし一方で 大学に所属し(オンラインですが)授業を受け課題(軽いものですが)をこなし、 週2でバイト(通勤片道1時間、正直自分には向いていない業務内容のバイト)して、 一人暮らしをしています。 私は恥ずかしながら人生で頑張ったという経験がほぼありません。 だから、このくらいのことでも上述のように多少不安定になるのもわかります。季節柄もありますし… しかし、程度が異常なのです。 テンションが高いと思えば、少しのこと、特に好きな人のことで落ち込み泣いたりして気分がジェットコースターのようです。 両親は私の頑張りたいことを応援してくれていて、大好きなお店で働けて、私に関わってくれる人、私を心配してくれる人もいて。恵まれています。なのに、まだ大切にして、ぎゅっとして、助けてという気持ちが急に湧いてきます。そしてそれを特に好きな人に求めてしまいます。 心を安定させて、安心して、勉強に集中したいし、すべきだと分かっています。 でも、できません。 アドバイスをください。お願いします。

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自分の中の相反する感情に振り回されて辛い

実生活で困っていることはないのに、最近気持ちが追い詰められて、頻繁に死を考えるようになってきました。 趣味もあるし、仕事もある。家もあるし、周りから虐められるような事は今はないのですが、過去の辛い経験が、未だに心の中で私を苦しめているようで、ここ数年落ち着いてきていた死への思いが再び強くなってきてしまいました。 過去、異性から虐められたり、心許した相手からセクハラメールを送られたりして、異性に対してはもう恋愛感情も持てないし、結婚もする気はないのですが、先日結婚相談所から電話が来て、普通に断ればいいものを、良縁を結ぶという言葉を聞いた途端パニックになり、強い口調で返して電話を切ってしまいました。相手は仕事で電話をかけてきただけだというのに、そんな態度をとってしまった自分が心底嫌になり、泣きながら跡が残るほど自分で自分の首をいろんなもので締めてしまいました。 死ななければいけないという思いは二十代の頃から強く常にありました。 最近は落ち着いてきたのに、またそれが強くなって、思うだけでなく自分の首を絞めてしまう状態になってしまいました。 人に迷惑掛けずに生きる事も、自分から命を経つこともいけないことなのは分かっているのです。生きてても案外なんとかなってることも分かってはいるのですが、同時に人に迷惑をかけてはいけない。でも、頻繁にパニックになって倒れる自分は人に迷惑をかけている。そんな自分は早く消えるべきだという気持ちも同時に沸き起こって、そのうち取り返しのつかない事をしてしまうのではないかと恐ろしく感じます。 おそらく、後者は過去に酷い言葉をぶつけられ、散々傷ついた過去の自分が思っている事なのだと思います。それが、未だに心の中に存在して、消えずにいるのだと。 もう、誰も私を傷付けないし、酷い言葉を投げ掛けない。傷つく必要はないのだと、心の中に居座ってる過去の自分に言い聞かせたいのですが、逆に辛い思い出が蘇って、今の自分が参っていってしまっています。 私はこの苦しさを抱えたまま生きていかねばならないのでしょうか。この苦しさを抱えながらも前に進むにはどうすればいいのでしょうか。将来の事を考えても見えるのは死ぬ未来ばかりで、何も見えないのです、昔から。 少しでもいいです。何かアドバイスをいただけたら有難いです。

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拗らせてしまった感情の吐き出し方

私の母は自殺で亡くなりました。 それまでも母は自殺未遂をしたりしていたのですが、当時の私はその事実を受け止めるのが怖くて、母の死を考えないよう、悲しい気持ちを我慢しました。 その後、母の亡くなった理由に父のモラハラが原因だと親戚に言われました。 自分もそれは原因の一因であるだろうと思います。 また、そんなことをしていた父の性格についても調べ、おそらく自己愛性人格障害なのだろうと判断しました。 当時私は、どちらかというと父の肩を持っていたので、自分の性格や考えが父に似ていると思っていました。 自分のしていることに無自覚だった父と、自分は似ているのだと思ったら、自分のことが信じられなくなりました。自分もそのような人間になったらと考えると、とても怖くなりました。 客観的に見ればめちゃくちゃな思考なのかもしれませんが、本当に、ただひたすら怖いのです。 それから人と話すのが怖くなり、しゃべらなくなりました。 誰にも話さず自分の中の不安感や憂鬱を押さえ込むのが苦しく、自分の考えに対する自信のなさから自分の気持ちよりも他人が言う「良さ」のようなものに無理やり合わせて、何度も苦しくなり、今では死にたいとまで思うようになりました。 強い不安感を感じて鬱になったり、その影響で過去の無理やり抑えていた気持ちが急に溢れて、でもそれを吐き出すことができなくて辛いです。 母が亡くなって6、7年も経つのに心の整理もできず、知り合いにも言いにくいです(知り合いにはそう言う相談をしたことがないので、無理に言おうと思うと逆に辛いです)。 このぐちゃぐちゃになった状態を、どうすればいいでしょうか。

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自分の気持ちとの向き合い方

こんばんは お忙しい中相談失礼致します。 私は20歳の専門学生で、高校生の頃からなんとなく人間関係が上手くいっておりません。 高校生の時は毎日部活で土日、夏休みも冬休みも春休みも朝から晩まで部活で部活の人とは関わりがあってもクラスの友達と遊ぶということは出来ませんでした。 部活は自分がやりたいことではあったので頑張れたのですが最後の最後で同期の気持ちに反する意見を言ってしまったが故に仲間外れになり、孤独な卒業を迎えました。 専門学生では1年生の頃にいい成績を取ったことを妬まれ八つ当たりされ、仲間外れに。 2年生の頃他の人とも仲良くなりましたが最後はクラスの男性に身体を触られ、それを相談した友達にお前が悪い。知ってたけど敢えて助けなかった。他の子がセクハラ発言された時はみんなで話し合って助けてあげよってなったんだけどね。と言われこれもまた仲違いに… 今では中学の頃からの仲で連絡取り合ってた子にお前は友達無しで独りで居てくれた方が私優先で遊んでくれるから都合がいいと言われ不信になり少し距離を置いています… こうした時、私は凄く相手を恨んでしまいます。 自分に対して酷いことをしてきたのに平然と笑っているのが許せない。相手が何かをする度に失敗してしまえばいいのに。 そう思ってしまうが故に自分が失敗するのもとても怖い。 ほとんど敵のようなクラスの中で失敗してしまったら何を言われているか分からないし、絶対に負けたくない。 そう思ってしまう自分がとても嫌です。 負けたくないという気持ちは自分の向上心が芽生えるためいいのかもしれませんが、恨みの感情がついてきてしまうので恨みの感情を払いたいです。 どうしたら相手のことを許せるか。 どうしたら周りの事が気にならなくなるか。 妬みや恨み、それらの負の感情をどう自分の中で整理してプラスの方向へ持って行けるか 自分次第ではあると思うのですがぜひ色々な考え方、捉え方を教えていただければと思います よろしくお願いします

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hsp 気持ちの切り替え方

職場の先輩から 怒鳴られることが度々あります。自分のしている事がその先輩のやり方や考えにそぐわないと一方的に腹を立て 大声で怒鳴られます。 それは自分だけではなく他スタッフも同じような目に合っています。 嫌味や悪口を言われても平然としてる人、あまり気にしない人もいますが。 私はhsp気質で 大声で威嚇されると ずっと 気分が落ち込んでしまい なかなか立ち直れません 自分なりに頑張っていても 彼女(ナース)からの上から目線や嫌味、悪口、怒号は永遠に続くんだなぁと思うと 仕事そのものにやる気が無くなってきてしまいました この会社を辞める勇気はまだ無いので常勤から非常勤になり働く時間を短くしようと考えています。 少しでも 怒りナースから距離を置きたい、気持ちに余裕をもたせたい、との思いからです。 しかし 非常勤になったところで ナースが放つピリピリイライラオーラは変わらないわけで。 やはり自分の捉え方 考え方を変えていかなければいけないのではないかと思っています。 嫌味を言われて落ち込んだり 憂鬱になったりしても気持ちを上手く切替える方法を教えていただけますでしょうか。 ご助言よろしくお願い致します

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