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大して知らない人の成功話について

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私は、親友や家族の成功について、自分のことの様に喜べますが、大して知らない人から成功話を聞いた場合、親友や家族の時みたいに喜べない自分がいます。
妬みとか僻みではなく、相手の事を大して知らないので正直困ってしまいます。しかし、相手は興奮しているので、自分も興奮しながら褒めると言う心理学的なテクニックを使いその場を凌ぐ自分がいます。
何度か、実験的に、興奮しないで褒めてみたり、正直な心で引きつり笑いをしてみたら、相手によっては、満足しない人もいるので、面倒な世の中だな〜と俯瞰して見ています。私からすると、大して貴方の事を知らないのに、要求が多い人だな〜。と。
仏教には、ムディータ(喜) と言う考えがありますが、私は、大して知りもしない人にムディータと言う状態になれないのが現状です。だからと言って、人の話を聞かない訳ではなく、適度に話を聞き自分の事を話す様にしてます。
ブッタは、地球上の全員にムディータと言う状態になれと言っていない気がするのですが、どのくらいの範囲の人達にムディータになれと言っているのでしょうか?
本などを読んでもイマイチ分からないので質問しました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

喜と喜を押し付けることと

順序を逆にして後ろからお答えします。

>仏教には、ムディータ(喜) と言う考えがありますが、私は、大して知りもしない人にムディータと言う状態になれないのが現状です。だからと言って、人の話を聞かない訳ではなく、適度に話を聞き自分の事を話す様にしてます。
ブッタは、地球上の全員にムディータと言う状態になれと言っていない気がするのですが、どのくらいの範囲の人達にムディータになれと言っているのでしょうか?

 慈悲喜捨の四無量心は、四つとも、まず自分のことに対して、ついで親族など親しい人々に対して、最後に一切衆生に対して、自分に対するのと同様に慈しみ、悲(悩み苦しみがなくなるように)、喜(他者の幸せを喜ぶ)、捨(平安)が無量に、つまり無制限に、一切衆生にまで平等に広まるようにと思える心を鍛えましょう、と言っています。じわじわと心が大きくなるように頑張りましょう。
 しかしこれは、自分の心の中で行う自分の修行です。相手が目の前にいることを、そもそも前提としていません。自分の心の中で、自分や、親しい生命を思い浮かべて、自分や彼らへの慈悲喜捨を強めるのです。一切衆生の場合は、個々の生命は忘れて、もう、イメージで、心を広げます。
 ですから、以下の、最初の問い……

>しかし、相手は興奮しているので、自分も興奮しながら褒めると言う心理学的なテクニックを使いその場を凌ぐ自分がいます。
……私からすると、大して貴方の事を知らないのに、要求が多い人だな〜。と。

 これは別の話です。相手がある場合、相手の感情が絡みます。自分のことを心配してくれる親族なら、自分も相手のことを喜んであげやすい。しかし、たいして知らない人?友達以下?近所の知人?などの場合は、自分の心の中で慈悲喜捨の気持ちを育てるには適切ですが、実際に彼らが自分に何か話すとき、自慢になったり、こちらの時間がつぶれたり……それは慈悲喜捨と別の話が入り込むので、やりにくいです。
 それでも上手に、周りの生命とも付き合うべきでしょう。やり過ぎて付け込まれてこちらの生命が危険になったり、やらな過ぎて冷たいと思われたりしない範囲で。基本は、どの生命にも慈悲喜捨の気持ちを持つぞ、と、自分の心に決めて、そのうえで、その都度の相手と適切に接するように心がけます。抽象的ですが……

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質問者からのお礼

非常に理解できました。ありがとうございます。

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