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両親を亡くして一年が立ちました。

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二年前に父が余命宣告を受けました。

「話がある、早く帰って来い」

ぶっきらぼうなメッセージだと思いつつ、それに従い、いつもより早く帰宅した私。
ドアを開けると誰も死んでいないのにリビングはお通夜状態で、目に涙を浮かべながら強がる父と、すすり泣く母がいました。

膵臓ガンだと、完治する可能性は低いと、医者曰く余命は3ヶ月か半年だろうと。

母にどうしたいのかと聞くと「一緒にいたい」というので、父も母も仕事を辞めることに。

それから父と母はいつも一緒でした。
どこにいくのにも。
なにをするのにも。

「新婚みたいだね」とからかうと母は嬉しそうにしたあと、少し辛そうに笑ってました。

母は父のためになんでもしました。
外に出るときは父の荷物を母が持ち、支払いは母がして。
父が「あれが食べたい」と言えば作ったり、買ってきたりと。
そんな最後の新婚生活を送っていた時間だけはとても幸せだったのだと思います。

半年を過ぎたころ。
父の体調は一気に変化しました。
歩くだけで疲れるようになり、ベッドで横になっている時間が長くなっていき。
そして余命宣告から一年後に亡くなりました。

棺に入った父から

「お母さんがいたから半年も長く生きれたんだよ」

「ありがとう」

そんな言葉が聞こえました。

父を亡くした母はその後、大変でした。
葬儀中は気力で耐えてたもの。
昔の職場にも戻れるような精神状態でもありませんでした。
精神科にいくことを勧め。
私は普段の生活リサイクルを続けていました。

そんな、ある日。

母が亡くなりました。

脳梗塞だったと。

私が仕事に行ったあと、脳梗塞で倒れ、助けを呼べず、そのまま亡くなったのだと。

父が亡くなってから三か月後のことでした。

父の側にいた母は
父を最後まで救けていたのに
母の一番近くにいた私は
母になにもしてあげていなかった
その事実だけが今も胸に残ります

母は生前から「人を騙したり、貶したり、憎んだり、憎まれるようなことはやめなさい」と言っていました。

母は自分のことを後回しして家族を愛していましました

母は私のことを愛していたのに、私は母を愛してあげれてなかった

私みたいな親不孝は生まれてくるべきじゃなかったと

母のことを想うと
自分の不甲斐なさで嗚咽がとまりません

私は生きてていいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お母様にも良い人生でした

と思えるのですが、いかがでしょうか。
 夫の最後の時を堂々と支え、見送り、その代わり、とくに精神的にきつかったのでしょう、脳梗塞とは。
 夫亡き人生をその後も歩み続けるのも良いですが、すぐに、しかも後追い自殺でなく、力尽きて旅立ったのですから、ご本人は大したものだと思います。ですからそちらはご心配なさいませんように。
 あなたが、お父様亡き後のお母様のために何もしてあげられなかったのが、悔しいですよね。こんなに早く、誰にも気づかれずに行ってしまったのですから。
 亡き後からでも追善供養するのも一手ですが、仏式にお寺にお布施するだけが善行ではありません。特に親子の場合は、親は子を立派に世に出したらものすごい善行為。子は、親になんとか自分の成長を見せられたらものすごい善行為。とりあえず、これは達成できています。さらに今後と思っていた余分をやり取りすることが急に、直接はできなくなったというだけです。
 間接的には、今後もできます。朝起きたら、おそらく上のほうに転生しておられる御父母にも「今日も一日頑張ります」とあいさつして、夜寝るときは、また御父母にも、「今日一日頑張りました。(仏教的には)この功徳をお受けください」とか、(一般的には)「今日も見守ってくださってありがとう、おやすみなさい」などと、一日頑張った分の功徳を手向けるのです。仕事も近所付き合いも、心正しく行う分は善行為、子育ては当然善行為になります。
 毎日結構善行為をして徳を積んでいます。目の前におられないのだけが残念ですが、生きている間も、言葉や食べ物を交わしても、結局は心をやり取りしていたのです。住む世界が違う今も、心なら通じるかもと思って、お母様の子として立派に徳を積んで廻向してください。

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質問者からのお礼

藤本晃(慈照)様、ご回答ありがとうございます。

父も母もいい人生だったと思います。
しかし、もっと長生きしてもっといい人生を送れたのではないかと思うと同時に、私の気遣いのなさで死なせてしまったのだと、どうしても考えるのです。

先月、嫁が出産しました。
父や母に孫の顔をみせれたのであれば悔いもここまで残らなかったと思います。

両親から受け取った徳のバトンを、自分の子に継いでいくことが私の償いになるのかなと感じています

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