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決意が決まらない

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有り難し有り難し 7

こんにちは、看護師をしている者です。
現在病棟で働いているのですが、来年から転職をしようと今年転職活動をしました。一応職場は決まったのですが、なぜかモヤモヤしたものがあります。
そもそも転職を考えていたのは、何年も前からです。私は急性期の病院から地域の病院に来ました。ここでは積極的な治療をしません。いつまでもこの職場に留まっていては技術は忘れるだろうし、成長のためにはならないと思っていました。今年で4年目になり、周りも辞めていく状況に自身もそろそろと、転職先を決め面接まで行きました。
しかし、一回目の面接で急に本当にここでいいのか?という思いが駆け巡り、一旦履歴書を引っ込めてきてしまいました。それでも先方からはよく考えてまた来て下さいと言っていただけました。転職サイトからは人柄は気に入ってもらえ待ってくれるそうです。
次へ進むなら若いうちじゃないときついと考えています。次に考えていた職場は急性期よりで、勉強になると思います。実を言うと前々から気になっていた診療科の病院です。しかし今の職場はなんやかんや言っても人間関係は悪くないし、仕事も慣れてきています。
またそれだけではない問題があります。私にはやや不注意傾向や忙しくなると人より焦りやすい傾向があります。これを考えるとやはり急性期ではやっていけないのでは?と考えがぐるぐると回ってしまっています。
今はカウンセリングにも通い、自身の特性について少しずつでも訓練していこうとは思っています。
ここで新しい職場を蹴ると次はなかなか難しいかなとも思います。思いきってチャンスと考え、新たなところへ挑戦していってみるべきか。しかし、自身の特性も考え今は無理はせずに、もう少し今のところにいる方がよいのか、悩んでいます。
私自身の覚悟の問題なのかもしれませんが、ご意見を頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

迷うから智慧が生まれるのです。あとは最初の一歩という勇気を

拝読させていただきました。

 決めたものの躊躇することもあるものです。そのモヤモヤ感はどこから来ているのか?

「判断力」と「決断力」は別である。
・判断力は知能
・決断力は心

 この二つの違いがあり、人間は連鎖する日々の中で蓄積された経験(知覚・認識)が備わっていきます。仏教では形成されていく力を「心相続・サンカーラ」と、とらえます。
 その経験が時に“判断したこと”が“決断したのだ”と意識が異なった信号を脳に送り出します。しかし誰にでもあるものです。
「塩と砂糖は舐めてみないと分からない」と、よく言うように新しい職場で働いてみないと実際は分からないこともあります。仕事は好きなのに人間関係で辞めてしまうこともありますし、上司に恵まれ嫌いで入社した仕事が好きにもなったりもしますように。

 人はどのような仕事を選択するのではなく、どのような生き方をすることが肝心と捉えるのが大切です。

仏教では
・正精進(正しく努力する)
・正業(正しい行い、いわゆる仕事)

「ありがとう」と言われる仕事をしていくことを軸に置くことで決断力に迷いが生じにくくなっていくものです。

 様々な仕事がある中で、金銭だけを求めて仕事をしていくと、いずれ物足りなさを感じていきます。職務内容だけで仕事をしていくと、いずれ虚無感が芽生えます。憧れだけで仕事をしていくと、大切な人を非難する心と邪魔なプライドを作り出していきます。

 このように少し仕事を見ていくと、最後に働いていても、辞めるにしても「ありがとう」と思われる仕事をしていくこが後悔をしない人生へとどの境遇においても感じれるものになります。

 今の職場のままでも良い。
 新しい職場でも良し。

「ありがとう」と思える仕事。「ありがとう」と思われる仕事をしていくことを軸に置き換えて考えてみてはどうでしょうか。
ひとつの参考程度としてとどめておいてくださいませ。

合掌

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質問者からのお礼

ありがとうございます。
確かにどのような生き方をするのかを考えたとき、場所は関係ないのかもしれません。私にとって仕事とは、何を思って日々看護の仕事をしているのか、原点に立ち返ってみたいと思います。

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