宗教は今の自分にとって必要ではないです
大学生です。両親が新興宗教の信者で私は生まれた頃から信者です。
宗教の行事に参加していますが私自身信仰心が全くなく、同じく参加している子達との熱量の差を感じます。
両親が熱心であり、宗教内での友達も多く、また教え自体間違ってる事は言ってないと思うので脱会は考えていません。ただ布教活動や献金等は全くする気がありません。
今、任期がある役割についてしまった事をとても後悔しています。あと1年は毎週集会に行かなければいけません…やる人いないからあなたどう?と流れで決まってしまいました。しかし自分の口がやると言ったことなので途中で投げ出すのも嫌です。
また最近好きな人と両思いが発覚しましたが信仰の事を言って嫌われるのが怖いです。
周りの友達は信仰のことを言って破局したりはしていませんが…自分が嫌です。
考えがごちゃごちゃですが、アドバイスを頂きたいです🙇♀️
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身に合った方法をお考えください
こんにちは。
ご「両親が新興宗教の信者」、あなたも「生まれた頃から信者」という家庭で育ってきたのでしょう。
あなた自身は「信仰心が全くなく」、積極的に「布教活動や献金等は全くする気」がない。ただ、消極的には「教え自体間違ってる事は言ってない」と考えているし、「脱会」は考えていない。
何となく続けてきた「信者」として立場を、今後とも継続してくことは可能なはずです。また、「信仰心」が無いとは言っても「教え自体間違ってる事は言ってない」と考えているのところから、自分では明確に意識できないまでもその宗教の価値観があなたの一部として既に身についているのだろうと推測します。
ところが、本来この継続可能な立場に影響を与えた人がいる。
「好きな人」の存在です。
その人から「信仰の事を言って嫌われるのが怖い」という可能性が出てきた。
選択は二つです。
一つは、自分の一部である「宗教」を、否定せずに認めてくれる相手をパートナーにする。これは、現在の「好きな人」が認めてくれるかは未知数です。「嫌われる」かも知れません。しかし、長い目で見れば最初からそういう相手を選ぶ、という意識的な視点が大切と思います。
二つには、これを機会に「宗教」を「脱会」する。
「信仰の事を言って嫌われるのが怖い」というのは、世間一般の客観的視点からの自分を考えるからでしょう。入会している限り、今後お付き合いして結婚を考えるようになると、「熱心」であるご両親との軋轢は避けがたいものになります。曖昧な立場はいつか決定的な選択を迫られる可能性が高いでしょう。
理想的には、自分だけは退会してご両親とは宗教の面では一線を画しつつも、親子関係としては比較的良好である、ことです。これを実行するにはかなりの「熱量」が必要になります。ご両親に自分の立場を認めてもらうという説得をする必要があるからです。また、これまでのお友達関係にも影響があるかも知れません。この意味では、相応の努力が必要になるでしょう。
ご自身にあった方法をお考えください。
サンタを信じない人のクリスマス
サンタを信じていなくてもクリスマスの催しを楽しむことは可能です。
お化けを信じていなくてもハロウィーンを楽しむことは可能です。
やりとげると決めているのであれば楽しみましょう。
ただし、途中リタイアや、「今週は休ませて」などの要望は言うようにして、交渉しましょう。
将来の仕事でも、無理は承知でお願いしたり交渉したりしなければならないことがありますので、要求を言って交渉することは良い経験になります。
1年間毎週末は大変ですね。
両想いの相手とデートしたいでしょうし。
プロフィールで宗教団体名を拝見しました。
私は大学時代に京都の街頭でその宗教の勧誘の人と話をして、施設について行った経験があります。
施設の中で指導者みたいな人の話を聞きました。
施設に来ている人々には、身体障害者や病人が多い印象でした。
藁にもすがりたいという心情なのかも知れませんね。
人間には誰にでも、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があります。
煩悩はストレスの原因になるので、自分の煩悩には素早く気付くようにしましょう。
一方、誰にでも煩悩があるので、他人の欲・怒り・怠け・プライドには慈悲の心で臨みましょう。
宗教活動を怠けたい煩悩はあって当然です。
また、宗教の信者の中には、宗教活動をすることで「自分達は特別な存在だ」とプライドを満たしている人々もいます。
そうせざるを得ない人々の苦しみ(プライドの煩悩のため自己肯定感を欲している)は、ある程度理解してあげましょう。