過去に起こしたことが気になります
質問を読んで下さりありがとうございます。
先程、自転車の死亡事故のニュースを見てふと心配になり相談させていただきました。
数年前、高校生だったときに、自転車も通行可能な歩道を走っていた時に、建物から出てきた小学生にぶつかってしまったことがありました。
ブレーキをかけたものの、その子のお腹に接触してしまい、『うっ』と言っていたのを覚えています。
倒れはしませんでした。
私はその場で『大丈夫?』と聞いたら大丈夫と答え、歩いて家に帰っていってしまったので、私も歩けるなら大丈夫かなと思い、帰宅しました。
しかし、今になって、後々病院にかかるような事はなかっただろうか、命に関わる様なことは起きなかっただろうか、何故あそこで警察に連絡しなかったのだろうと、後悔の念に駆られています。
親に相談したところ、5年以上前の話だし、今更考えてもしょうがないと言われました。
しかし、心の蟠りが取れません…
良いアドバイスがありましたら教えていただきたく思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慚愧(ざんぎ)と感謝の気持ちを忘れないで下さいませ…
あなたの御心に寄り添う意味からは、「もう昔のことですから、考えなくてもいいですよ。考えても仕方がないですよ」という回答になるのだと思います。
でも、そう回答致せば、「昔、事故に遭って…」「昔辛い経験をしたことがあり…」といった他のお方からのご相談にお答えしにくくなってしまいます。
事故を起こしたこと自体は忘れてはいけないものだと考えます。というのも人間は自分自身に被害が無ければ、とても忘れやすい生き物だからです。
あなたも『自転車の死亡事故のニュースを見てふと心配になり』、かつての事故を思い出したんですよね。それ以来 気になっているんですよね。事故を起こしたその時も、多分最初は「あの子は大丈夫だっただろうか」と気になっていたのでしょうが、そのうちに忘れてしまったんですよね。
あなたを責めているようですが、この内容は今私自身、また私の生き方に対して書いているように感じています。
今あなたに出来ることは、「事故を起こした事実を忘れない」ようにすることでしょう。
その上で、現実的にはそのときの子供さんに謝罪をすることは出来ないでしょうから、「今後出来るだけ事故を起こさないように、自転車が自動車になっても安全運転を心掛ける」「事故に遭遇した場合、御自身は直接関係していなくても自分の都合を差し置いて、被害者の身を守る為の行動を取る…その決意を普段から持っておく」ことが大切かと思います。
事故を忘れないこと と、ただ思い悩むこととは違うと考えます。事故並びにその後のあなたの思い・体験から、今後の御自身の取る行動を考えて下さい。
ある意味で、あの時の小学生はあなたに大切な事実を伝えて下さった菩薩様とも申せます。身をもって貴い経験をさせて頂いたのだと慚愧と感謝の気持ちで、事故のことは忘れないように努めて下さいませ。
質問者からのお礼
小林 覚城 様
この度は、大変丁寧なご回答をありがとうございました。
確かに、今となれば当時は何も考えていなかったように思いますが、当時ももしかしたら、あの子は大丈夫だったのだろうかと考えいたのかもしれません。そして、今忘れているのかも知れません。
高校生の私は、まだ考えが幼く、その小学生を引き止める勇気もありませんでした。
今、成人し後悔の念を抱くことで、交通事故に対してより一層気をかけるようになったと思っています。
今後も加害者、そして被害者にならくよう、気を引き締めて過ごしていきたいと思います。
ありがとうございました。