離婚したいと言われ、死にたくなります
初めまして。
今も情緒不安定なので、乱文になってしまいましたら、すいません。
結婚4年目の30代夫婦(共働き)です。
先日大喧嘩があり、その事がきっかけで夫から離れたいと言われました。
理由は簡潔にまとめると以下の3点です。
*夫婦間の時間をもう少し欲しかった
*夜の夫婦生活に対する不満(4ヶ月ほどレス)
*完全に好きでなくなったわけではないが、情の方が強い
夫は口下手で普段から中々自分の意見は
上手く伝えれない人です。
そんな人なのでそこまで追い詰めていた事を深く反省しております。
私としては離婚はしたくない、これからも一緒にいたいと思うので、話し合いを行い、修復に努めたい事を伝えましたが、「一緒に頑張れない。」との事でした。
現状は私の気持ちが追いつかず、少し時間が欲しいと伝えてます。
これ以上関係を悪化させたくないので、しつこく感じられない程度のコミュニケーションを率先して行い、なるべく笑顔でいるように頑張っていますが、気が少しでも緩むとすぐに涙が止まらなくなります。
夜も一緒の布団で寝ておりますが、不眠になってしまいました。
また確証は無いのですが、気になる人がいる可能性があります。
※お互いの携帯は見れるようになっており、不自然な人物登録がありました。
※交際当初に浮気未遂の前科もあります。
ただ今回そうさせた要因は私にもあるということと、無用な疑いをかけられると気分も良くないだろうと思い、その事は置いております。
夫は趣味の関係で休みの日は終日不在がちで、仕事終わりも居ないことがあります。
こちらもそうさせた一因として、私のせいだと思いますので、出かけることにも口出ししないようにしております。
過去の夫婦生活の中で、夫が要因の離婚の危機(詳細は控えますが警察沙汰などです)はありましたが、その都度話し合いを行い、2人で乗り越えてきたと思います。
何とかもう一度やり直したいのですが、修復するにもどうすればいいのかわからず、路頭に迷っているような状態です。
本当に離婚するしか道はないのだろうか、と思うと辛く苦しく今すぐ死んで消えてしまいたくなります。
また極限まで辛くて、自分の気持ちすらもわからなくなってきましたので、こちらに相談しました。
どなたか助けてください。
お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いずれにせよ「修復」は難しいように思えます
こんにちは。
「もう一度やり直したいのですが、修復するにもどうすればいいのかわからず」、「離婚するしか道はないのだろうか」とのお尋ねです。
これは第三者から見て「気になる人がいる可能性」いかんによると思います。「不自然な人物登録」「浮気未遂の前科」があるようですが、これも現在の所確かではないと思います。
もし実際に「気になる人がいる」、つまり不倫(或いは未満)で気持ちがそちらの方に向いてしまったのなら、「離婚したい」というのはご主人の事実上決定であり、事後報告の可能性が高いように思います。
この場合、「離婚したい」理由の「3点」はあくまでも「離婚」を正当化するための列挙であって、「修復」を前提としたものではないように思えます。「一緒に頑張れない」というより、「頑張」らないと決めたということではないでしょうか。
勿論、これはあくまで「気になる人」の存否によります。
この「気になる人」以外の論点で、「修復」が難しいと感じることがあります。それは、既に「修復」の基本となるコミュニケーションが取れなくなっているという点です。
「関係を悪化させたくないので、しつこく感じられない程度のコミュニケーションを率先して行い」、「無用な疑いをかけられると気分も良くないだろうと思い、その事は置いております」、「そうさせた一因として、私のせいだと思いますので、出かけることにも口出ししないようにして」・・・。
つまり、お二人の間に明確な一線があって、あなたはその一線を既にまたげない。ご主人も越えてこようとはしない。これでは、実質的に「修復」の手段を失っているという状況ではないでしょうか。
また、「趣味の関係で休みの日は終日不在がちで、仕事終わりも居ないことがあり」と書いていて、根本的に「修復」の時間さえない、とも感じます(ご主人は「夫婦間の時間をもう少し欲しかった」と言っていますが、自身で時間を作ろうとしたのでしょうか)。
「気になる人」が既にいるなら、「修復」はかなり難しい。
いなくても、「修復」するためには双方の意志が共通している必要があります。あなたにはその意志があっても、ご主人の意思の欠如がある限り現時点では難しいように思います。
ここは、別の道を歩む選択をするほうが現実的に悩みを軽減できるのでは、と思いました(字数制限)
お互いにわたくし濃度を下げた建設的かつ善導的な語らいを
車に乗っている時、前方の車や後方の車がハイビームでまぶしかったり、ものすごい排気ガスを出している車に出会うたびに「人は自分のやっていることに気づかないものだなぁ」と感じます。
キリストさまでも「神よ、お許しください。彼らは今自分が何をやっているのかを知らないのです。」といわれたという話があります。
無自覚に自分を傷つけ、相手を傷つけるような行いをする。それが我々未熟な人間なのでしょう。だからこそ、世の中には宗教がある。学校の教育だけでは人間教育はいつまでたっても行われない。クラスにいた女子・男子でもいやな子もいたはずでしょう。学校を卒業すれば、二十歳になったら急に人間性もまともで立派になっているのでしょうか?いいえ。そういうものではありません。だからこそ、他人さまはどうであれ、自分が相手からも距離を置かれてしまうような態度や言動や心のありかたをみつめなおす。それが大事です。
人は生まれながらに一人ではありますが、夫婦になったとしても各自は各自。夫婦の関係というものは共同生活ですから、相手のあること。相手のあるもの。
そこで今まで通りのビジョンで「わたし・わたくし・じぶん」がやるアクション、自分が投げる暴投、変化球だけでは相手がどう受け止めてよいやら。キャッチしずらいということがあるのではないでしょうか。
それぞれ夫婦であってもみんなそれぞれ別々の尊厳を持った人間だからです。
相手に対する尊重、リスペクトがあった上での建設的な会話がなければ自分が自分がで暴投や排気ガスを吹き付けてしまっているようなことがあるものです。はい。だれにでも。
つまり、人間知らず知らずのうちに自分が自分がと自分ファースト、どファーストな心理に陥っているものなのです。
相手のあることです。
まずは、自分が折れてへりくだって、お互いがより良く報われるように、お互いが苦しみも無く、ストレスも無く、一緒にいて心地よいような、お互いがお互いをたたえ合う、褒め合う、感謝し合うような。つま目的も変えるのです。
仲良くするとか、そっちの前に、お互いがお互いを高め合うようにすることで結果的に良い方向へ向かわせるのです。
自分も自分の人間性を高めるために。自分のアクション・言動を相手を損ねることのないように。受け止め方も働きかけ方も上手になるように。それの為にやるとよいでしょう。結果的にどちらをも救う花が咲く🌼
質問者からのお礼
お二人共、真摯に話を聞いていただき、ありがとうございます…。
とても為になりましたし、お二人のお話をじっくり落とし込みたいと思います。
その後、心を冷静にして自分自身の身の振り方を考えたいと思います。
本当にありがとうございました。