実母との関係改善
2年前から夫の理解で現在78歳の実母と同居を始めました。父の他界後の一人暮らしも経済的に限界で同居となりました。
妹と弟がおり、夫も長男なので出来れば弟と同居し私はサポートが理想でしたが、弟は話合の時間を持ってくれず、奥さんの気持ちもあり難しい様です。
私は幼少期より母のネガティブな言動に影響を受けやすく、母の機嫌の良し悪しを伺う所がありました。父が亡くなる前から父というフィルターが無くなったら母と上手くやれるか不安でしたが予想以上に1:1の付合は大変でした。一人になりネガティブさが増した母といるだけで苦しくなります。
特に「私が自分で死んだら困る?」など死をちらつかせる言葉が苦手で、聞くと心が重くなり、母を満たそうと必死でした。母を置き遊びに行くと母を一人にしている罪悪感がチラつきます。何度かメンタル要因の病気も発症しました。
同居し狭いマンションで暮らす自信もなく、夫の家への引け目もあり生活保護を頼らなくては行けなくなる母に申し訳ないけど別居暮らしの希望を伝えていました。
しかし、母の選択は私との同居。
同居後、仕事から帰ると飲酒で泥酔している母がいました、次第に夫は母の方を見ることもなくなり、2か月後には通勤電車で涙が出たり、家に帰るのが嫌になり、そこにコロナが襲ってきました。
母の衛星への鈍感さは以前から気になる点でしたが、コロナにより恐怖感となり、母の言動の不信感や過去の辛さが吹き出し体調は急降下で悪化しました。
病院ではHSPと言われ、母の話しをすると何とか別居はできないかと言われます。それでも弟は少しの間も預かってくれず、高齢で収入の少ない母を一人暮らしに戻すのは辛くて、心を整え関係改善を望みましたが、母もストレスもありネガティブさ暴言は続きました。
体調不良の私に「50も過ぎた女が気色わるい」などの発言で夫との溝も深まるばかりで、二人の間で体調安定は困難でした。
1年以上粘り、最悪の頃より体調は落ち着きましたが、完全に抜けず体重10kg減。
限界と思い母のアパートも見つけまもなく契約ですが、親を捨てる様な罪悪感で辛いです。
適切な距離で暮らすべきと思うのに、母も言葉では別居を望んでますが我慢かな?と不安になります。
母にも苦しい事情があるのに、暴言も少なくなり努力してくれてるのに。
私が弱いの?頑張り不足?
自問自答の日々です。
母のネガティブな発言に心を振り回されて、嫌なのに離れようとすると、自分に我慢が足りないんじゃないか、なぜ人にできる事が自分には出来ないのか、、、と自己嫌悪に襲われる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身を許してあげて。
こちさん
こんにちは。
旦那様とお母さんに挟まれ、どれだけ辛い思いをされたか、文を拝読させて頂くだけでその大変さが本当に伝わってまいります。
こちさんは
本当にお優しく、周りの人の気持ちばかり考えてご自身の気持ちを優先できずにきてしまったのでしょう。
頑張ってこられましたね。
お母さんはこの先、根本から変わることはないでしょう。
お母さんも辛い辛い人生だったと思います。
お母さんがそのように生きづらさを抱えてきたのは
またそのお母さんの影響によるものであり
またそのお母さんもそのお母さんの影響であるのです。
みな、子供のためにと一生懸命子育てしてきていても
子供にとって生きづらい人格形成をしてしまうことはとても多いのです。
お母さんが生きづらいのはお母さんのせいではなく、
また、こちさんが生きづらいのもこちさんのせいではありません。
このように育った子供は
どんなに大人になっても
お母さんの支配から逃れられません。
お母さんのために
お母さん孝行をしなくては
お母さんの責任は自分がとらねば
裏を返せば
子供の頃得られなかった、欲しかったはずの母の愛をまだ求めている状態です。
それに気付き、
もう、母親からの愛情は求めなくても生きていけることをまずは自覚してみてください。
そして
親孝行は、こちさんが産まれた時点で終わっています。
親は子が産まれた時点でもう何も求めてはいけません。
こちさんは
十分すぎるほどやってこられました。
お母さんも本来ここまで子供に求めてはいけないということを
学ばねばいけませんでした。
こちさん、ご自分の人生を大切にしてください。
こちさんと共に人生を歩いてくれている
旦那さんを大切にしてあげてください。
これから頑張るとしたら
ご自身の人生を楽しく幸せに生きる努力をすることです。
もうご自分を許してあげてください。
よく頑張られました。
お母さんとはなるべく距離をとって
生きていけますよう。