生きることに希望が持てない
はじめして。大学生の女です。頭が働いていないので支離滅裂な文章をお送りしますが、お許し下さい。今私は人生のどん底にいます。今までも「自分はどん底にいる」と思った経験はありますが、それまでは必ず誰かが助けてくれました。しかし、今回は別です。すべて私が悪いと思うのですが、助けてくれる人や親友を失ってしまいました。
自分は根暗で悲観的な性格であるため、「この先生きてたってろくなことはない。生きることに希望も持てないし自殺してしまいたい」と思っています。自殺方法を色々と調べてみましたが、遺族に莫大な損害賠償請求がなされたり他人様に迷惑をかけたりと、「結局安易に逝ける方法はないんだな。どうしたらいいんだろうか」と自殺できずにおります。もう自分が嫌で嫌でたまらず、生きていたくありません。自分の性格が悪いことは重々承知しておりますが、過去のトラウマから他人と接することが怖くなってしまいました。
「自殺した魂は一生生まれ変われず、地獄にも天国にも行けない」と聞いておりますが、実際はどうなのでしょうか。また、私のようなクズでももう一度人並みの人生を歩めるものでしょうか。
お坊様、どうか私に喝を入れて下さい。親からは「あんたはただの甘えだ。精神病の奴の真似をしているんだろう。付き合ってられない」と見捨てられそうな状況です。動こうと思っても、頭痛や腹痛がひどく、布団から出ることができません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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もし、本当に「天国」が気になるのなら
こんにちは。
「動こうと思っても、頭痛や腹痛がひどく、布団から出ることができません」と書いてあります。これは、親御さんが言うような「精神病の奴の真似」ではないと思います。「自殺してしまいたい」という希死念慮もあるのだから尚更です。まずもって受診する。これが最優先です。
「お坊様、どうか私に喝を入れて下さい」というのは、親御さんが「あんたはただの甘え」と言っているのを受けてしっかりしなきゃと思っているからでしょう。
いや、まずあなたが「甘え」ているという前提から始めること自体、ちょっと一呼吸置いたほうが良いです。前提が間違っていたら、対処方法もトンチンカンになります。「自分の性格が悪い」「すべて私が悪い」「クズ」という前提もしかりです。
「自殺した魂は一生生まれ変われず、地獄にも天国にも行けない」ということは、色々誤解があります。ただ、一番の要点として「天国」は仏教で最上の世界ではありません(むしろ迷いの世界)。私の宗旨(浄土真宗)では、極楽浄土を最上とします。「天国」が極楽とイコールのようなイメージで述べていると仮定して回答します。
「自殺」だから、極楽に行けないということはありません。
極楽の主である阿弥陀如来様は、どんな人でも、どんな最期であっても必ず極楽へ連れゆく、この阿弥陀を拠り所にしてくれよと仰る仏様です。だから、「自殺」かどうかは関係ありません。
しかし、ここが重要ですが日頃から仏様の教えを聞き続け(「聴聞」という)て信心を得ていない人は極楽へ行けません。つまり、「自殺」が極楽往きの分かれ目ではなく、日頃から仏様のお心を聞き続けているかが要点です。もし、ほんとうにあなたが気になるのならまず法話を腰を据えて聞き続けていってください。
本願寺法話配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/html/radio.html
質問者からのお礼
釋 悠水様
お忙しい中お返事をいただき、誠にありがとうございます。
家族自身もコロナの影響で色々とつらいことがあり、苛立っているのだと思います。「自分だけコロナ生活でしんどい目に遭っている」と思ってはいけないのだと理解はしているのですが、どうしても無気力になってしまいます。家族は私に発破をかけることで、元通りの勉強に励む娘に戻り大企業に勤めてほしいのでしょうが、もう疲れてしまいました。
ですが、もし私の人生に転機が訪れ、強い人間に成長して職にも就けて定年を迎えた後には、仏教の道に進みたいと思っています。まずはご教示いただいた法話を拝聴させていただきます。ありがとうございました。