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コロナで遊ぶことができなくて辛い

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有り難し有り難し 28

大学3年生です。
今まで勉強を極めたら運動してみたり趣味を探してみたりして、ずっと我慢してきましたがもうそろそろつらくて、誤魔化しきれなくなりました。
私は教育学部の人数が少ない学科に所属しているのですが、コロナのせいで2年の時からみんなで一度も遊べていません。1年の時はしょっちゅう集まって遊んでいたのに、コロナの影響で元々伝統的にあったイベントも全部なくなり、みんなで集まることも無くなってしまいました。大学生のうちにできることで、仲間と集まって楽しく過ごすことが一番楽しいと思っているので、それがなくなってしまったことが本当に辛いです。
コロナが落ち着いてきたので提案もできるにはできるのですが、やはり何かするとしたら個人が提案しなくてはなりません。やりたくない人もいるかもな、とか思って勇気がなくて提案できません。何もしなくてもコロナが収束なかったら当たり前に集まって楽しくできていたことができなくて、時間はもう戻ってこなくて、一度きりしかないのに、大好きな仲間とできていたはずのことのほとんどができなくて本当に辛くてプレゼンの準備なども手がつきません。本当なら...と考えると辛くて仕方ありません。2年3年の時間を返してほしい。もっといろんなことをしたかった。旅行にも行きたかった。何も気にせず遊びたかった。もっと思い出を残しておきたかった。
この辛い気持ちを和らげるにはどうしたらいいですか。本当ならできていたイベントを供養するにはどうしたらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
今の学生さんは本当につらいと思います。
しかし過ぎ去った過去は帰ってはきません。
私たちにできることは今できること、これから先できることに意思を向けることです。
就活や卒論の合間を利用して集まれる人だけでも集まり交流を深めることを提案してみてはどうでしょうか。
また、卒業してさよならではなく卒業後も定期に同窓会をするのもいいと思いますよ。
また提案すると幹事をやらないといけなくなり自信がないなら頼りになりそうなクラスメイトに相談してみてはどうかな。
残りの学生生活そしてその後の人生も有意義なものになりますように。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

❝可能な限り❞遊んだらいい

限定的に、ルールを守りつつ、正しい法則に乗っ取って遊んだらよいでしょう。
誰もルールを強いているわけでもありません。
禅宗では如法と申します。法のごとくに。法にかなった形で。
道理にかなった形で行えば、料理だって普通にみんな外食してるでしょう?
徹底的に大丈夫な形でやれば大丈夫なのです。
縛られちゃダメです。
自分の過剰なルールに自分で縛られているかもしれませんよ?
私は境内でも部屋でもマスクはしていません。
遊ぶというのは遊び心が大事ですから、心を大いに遊ばせて自由にしてコロナとは言えどもコロナの中でコロナを転がして、良い方向や活路を見出せばよいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

今まで以上に豊かな未来を

拝読させて頂きました。あなたがそのようにお感じなさるお気持ちももっともかと思います。コロナの影響で自由に外出したりイベントを開催したり参加することも制限されて人とのコミュニケーションを取ることも制限されてしまいとても息苦しさを感じておられることでしょう。あなたのお気持ち心よりお察しします。
学生としての時間は限られているかもしれませんけれどもあなたのこれからの未来はこれからもずっと続いていくのです。いずれコロナ感染症は終息していくでしょう。そうすれば行動の自由制限も緩和されていくでしょう。
社会人になっても様々活動領域は広がっていくでしょうからどうかこれからの人生をあなたの思い通りに生きていきましょう。遊びことも学ぶこともこれからが本番ですからね。どうかこれからの未来を今まで以上に楽しく豊かに生きて下さいね。
あなたの未来がこれからより一層充実した日々となります様切に祈っています。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

皆さん、ありがとうございます。
共感していただき、またこれからまだまだたのしみはあると言っていただいて本当に心が軽くなりました。
ありがとうございました。

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