卑屈さと傲慢さが心を占めています。
ご質問、ご相談させていただきます。
私は恥ずかしながら、うまくいかないこと、理不尽なこと、むくわれないこと、人生ってほとんどがそうなんだと最近知ったおバカさんです。そうなんだと腑に落ちるまで、エゴやプライドがウズウズして、傲慢な態度をとってきたこともありましたが、ただただなんにもないありのままの自分を認め、小さなことでも感謝しながら日々ひたむきに生きていこう!と決めたのです。しかし、ここのところ家庭でも職場でも理不尽やうまくいかないことに振り回され、疲弊し、またまた卑屈で傲慢な自分がひょっこり現れ始めました。特に職場での人間関係や慣れない業務の多さには憂鬱感ばかり募り、つい、「なぜ自分ばかり」と思ってしまいます。休日は、もう疲れてぐったりで1分でも1秒でも寝ていたく、なにもしたくない、してたまるかくらいに何もできません。そして、最近友人の誘いを断ったところ、ついに友人に「なんかあんたってなんの為に生きてるの?生き甲斐とかあるの?何が楽しくて生きてるの?」と言われてしまいました。確かにリア充とは真逆な生活で、人は私がつまらない人間だと思うでしょう。私は、仕事は楽しくなければいけないとは思いません。楽しい仕事なんてなく、気持ちの持ちようなのだと知りました。しかし、気持ちが「楽しんじゃえ!」に持っていけない時ってあると思うのです。今はそういう時なんだと。器以上の色々をこなさなければならなくて、頑張っても空回り、裏目に出る、うまくいかない、そんな時、振り返り、どうすればよかったかなと考えたとき、人や環境のせいにしてしまいがちです。人や環境は変えられないから自分が変わらなきゃなんですよね。わかってるけどわかってないというか、変われない、うまくいかないことに対する自信のなさからくる卑屈感と、周囲への不平不満、そしてそんな自分への自己嫌悪と、煩悩の鬼が騒ぎまくり、ザワザワザワザワします。お坊様はそんなことないでしょうが、お坊様になる前など、そのような負のループに振り回されたことはありますか?どのようにザワザワを収められたのですか?(職業は全体に公表したくありませんので、職業についての詳細はご容赦ください)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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行き詰まったら立ち止まり、横道外れて休憩しながら。
そうですよね〜そんな時もありますよねぇ。
しかし、友人の言葉、厳しいよね。何でそこまで言われなきゃならないのかと、腹立たしくもありますね。生きる意味や目的なんて、人それぞれだし、見ただけで判断出来るものでもないのに、私のことを何も知らないで、決めつけられるのは、いい気しませんよねぇ。
世の中の不条理に、悔しく泣くときもありますね。何のために頑張ってきたのだろうかと。あなたの今の状況も、大変なご苦労があるのでしょうね。毎日お疲れ様です、よく頑張っておられますよね。
気持ちの切り替えは、そんな簡単なことではありません。身に降りかかっているときに、器用にスイッチなんて切れないですよね。
ただ、このときに、私がこんな目に遭うのは他人のせい.社会のせい、と他責思考のままでいると、そこにある問題点の気づきや成長にも繋がっていかない。
しかし、自分の行動や選択に責任を持つことで、きちんと気持ちを整理していくこともできまます。行き詰まったら立ち止まって、横道外れて休憩しながら。ゆっくり自分で歩いていけばいいのです。
周りの環境や関わる人により影響を受けますが、私の生き方は 私が決める。
そう言い聞かせることも、ポジティブ思考、ラクに生きる方法です。
揺るぎない信仰心も、大きな拠り所となっています。
人間誰でも❝邪見憍慢悪衆生❞ですよ・・・。
貴女は本当に「正直&真面目」な方です・・・💛。
誰でも(もちろんお坊さんも)、大なり小なり〈そんな自分への自己嫌悪と、煩悩の鬼が騒ぎまくり、ザワザワザワザワします〉というものです。(みんなその気持ちを「隠して」楽しそうに!?振舞っているだけですよ・・・😅)。
で、人生は❝四苦八苦❞の連続だ、とお釈迦様もおっしゃっておられます(ネットで検索すれば、詳しく知ることができます・・・💚)。
親鸞様は、人間って所詮❝邪見憍慢悪衆生(ジャケンキョウマンアクシュジョウ)❞だとおっしゃいます。「邪見」とは、自分本位・自分さえよかったら、という心です。「憍慢」とは、うぬ惚れ・自分が一番偉い、という心です。そういう悪い人間の事を「悪衆生」というのです。誰でもみんなそんな心と「葛藤」しながら、人生を歩むのです。
で、その心を、少しでも良い方向に向かわせるのを❝利他行(リタギョウ)❞、他人様が喜んでくれる様に行動することです。難しいですが、まず貴女の周りにいる人に、一人でいいですから「喜んでくれる人」をこしらえて下さい。次にもう一人・・・。キット、道は開けてきます。小生もいつも「心がけ」ています(中々できませんが・・・💦)。
最後に、一休さんのお言葉;❝心配するな 大丈夫 何とかなる❞・・・心が〈ザワザワザワザワ〉した時、心の中で10回つぶやいて下さい。〈ザワザワザワザワ〉感が多少は落ち着くはずです。合掌
質問者からのお礼
大塚芳明様
身に沁みるお言葉ありがとうございます。なんかもう、とにかく誰かに「おまえはよくやってるよ」って肯定してほしくてしょうがなかったんだなと、涙が出てしまいました。「喜んでくれる人をこしらえる」本来、私の仕事は「喜んでもらうため」にあるはずなのに、難しい職務と膨大な業務雑務、責任に忙殺されて気がつけば全てが義務化されて、人も自分も喜べないような世界を自分で作り上げてしまっていたようです。今日は滞っていた仕事が一気に進展する嬉しいことがありましたが、それに伴って先方のミスだと思い込んでいた事柄が実は自分の勘違いであり自分のミスだったことが発覚しました。明日、先方に素直に真摯に詫びようと、そんな気持ちになれたのは大塚様の励ましのおかげです。仕事も人生も一進一退ですね……「心配するな なんとかなる 大丈夫」心の支えにしていきます。感謝申し上げます。
中田三恵様
気持ちに寄り添っていただき嬉しかったです。私、本当は友人に励ましてもらいたかったんだと思います。でも友人も育児と仕事で忙しい身。気分転換したくてランチに誘ったのに断られ、理由が疲れてるからだなんて、自分は仕事だけじゃなく子育てもしてるのよ、って気持ちもあったでしょう。少し愚痴ってしまったんです私。仕事一筋でも楽しく仕事している人はきっと周りも元気にできるのでしょう。私は彼女に負の影響を与えてしまったのだと思います。「忙しいと必要とされてると思うのだろうけど、会社側は平社員一人の替わりなんていくらでも探せる。そんな大変なら辞めなよ。人生無駄じゃん」それが最後の捨て台詞でした(笑)でも、私は知ってます。職場を変えても同じだって。たくさん転職しているので。それに、好きなことは仕事にできず挫折したのです。知っていて何故そんな残酷なことを言うのか、しかも自分の替わりはいくらでもいることがわかっているから、居場所がなくならない為に頑張ってるのに。少しでも役に立ちたくて。けれどいっぱいいっぱいになっちゃうこともあるじゃんって。私の最大の罪は愚痴かもしれません。愚痴ることで他人に無責任な言葉を発せさせてしまうようです。ただ相手に励ましてもらいたいだけなのに、やり方が間違っていたんだなと気付きました。ちょっと寄り添っていただいただけで、自分の小ささがよく見えてきて、心がシーンとなるとともに、そんな小さな自分に対し、自分で「頑張ってるよ。よくやってるよ」と言ってあげることがさっきようやくできました。ありがとうございます。少しずつでも、自分の生き方に自信を持てるよう、精進します。