自分の根源にあるものが嫌いです。
自分の根源にはいつも『面倒くさい』があり、何をするにもこの言葉が最後に付いてしまいまともに物事に向かい合えません。
よく意識の仕方を変えればやる気も出てくるよと言われるのですが、それも全く出てこなく何事に対しても適当にやってしまいます。
高校受験のときも『面倒くさい』が出てきてしまい、親が折角塾にいかせてもらったにも関わらず勉強は塾だけで後は遊んでいて、案の定公立は落ちてしまいお金のかかる私立に通わせてもらいました。
会社に入社する前に指定された資格を取得しとくよう指示されたのにも関わらず、全く勉強せずに受験しただお金を溝に捨てる行為と化してしまいました。
この事は誰にも言えず自業自得とはいえ、こんな結果になってしまい気持ちが落ち込んでしまい自分に嫌気がさします。
何かある度に自己嫌悪をするのに、少しすれば
「まぁいいか、どうせ何とかなるでしょ」と流している自分がいます。
こんな適当な人間の自分が心の底から嫌になってしまいます。
こんな自分は生きててもただ金を食い潰すろくでなしなのでは?生きてる意味があるのか?と考えてしまいます。
どうすればこんな自分を克服できますか、どうつきあっていけますか、物事に積極的になれますか、すきになれますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
飢えなさい。飢えれば生きる力が湧いてきます。
自分の心なのに、自分でコントロールできないことは、誰でもあります。それが自己嫌悪になってしまってもまたやってしまう。人間のサガです。だからお釈迦さまは自分のコントロールできる修行方法を教えてくださいました。何度も失敗しながら人生は進むものです。あまりあせらず気長に心の修行をしてください。
自分から心をコントロールできない場合は、環境を強制的にさせるように私はしむけました。例えばダイエット。目の前に食べ物があると食べてしまう方は、食べ物をおかない方が良いのと同じです。はすたさんは辞めても大丈夫ということを知っているので面倒くさがりの心に負けてしまうのです。
さて本気でショック療法で面倒臭い心を直したいのであれば、生死を体感できる生活にすべきです。死を感じる生活は心を強くします。遊び呆けると生きる力は弱くなります。もし本気ならお釈迦さまの故郷インドでも一度旅行に行きなさい。そしてスラム街に入ってボランティアで暮らしてみるのもあなたの人生経験に良いと思います。お金はフライト料だけで十分です。ボランティアのグループに入れば一日の飯ぐらいは食べれます。
人間は飢えを経験した方が良いと思います。飢えると食べたいという生きる力が生まれます。海外では面倒くさいで逃げることはできません。下手をすると死につながります。逃げる場所がないので強制的に動かざる終えません。私は30年前の中国に旅行に行きました。自転車を買って当時まだ外国人が行くことを認めていなかった場所も行って、日本と中国の違いを実感しました。そこで物乞いをしている子どもたちもたくさん見ました。なんて日本で生まれた自分は幸せなんだろうと、実感しました。
日本は豊か過ぎて社会保障が充実している故に、自ら命がけの生き方をしないと、生きる力がなくなり、食べるだけの家畜の豚になってしまいます。私もご縁で安定した仕事を辞め、生活できるかわからない僧侶の道を選びました。収入も1/3になり、休みもなく、寝ずに作業。今でも大変ですが生きがいと目標をもってがんばっているお陰か、人生って大変だけど面白いなーと実感しています。
是非、はすたさんは、まだ若いのですから自ら険しい道に飛び込んでください。必ず生きる力が湧いてくるはずです。合掌
質問者からのお礼
お忙しい時間を割いて質問に答えていただきありがとうございます。
試験を受けた後に一人悩んでどうしようと心に駆け巡っていくばかりで何も行動できず、また甘えてしまってしまい何も行動に移せない自分がいます。だけども、こうやってありがたい言葉を頂き心に響いて固まって動かそうとしない身体が少し動かせそうです。
まだ自分の中で意思が固まらずぐちゃぐちゃになって決めることができません、まさに今自分は人生の分岐点にたっているんだと感じてます。それでも選択しないと前に進めないと思うので、悩みに悩みこんで自分で決めたいと思います。