自分が許せず罪悪感に苛まれております
私は今まで2~数年間、違法サイトで漫画の閲覧をしてしまっていました。
利用し始めた時はそれが違法サイトであるとは知らず、あまり不信感も意識もしていなかったと思います。
ですが先日ふと気になって調べたところやはり利用していたサイトが違法サイトであると分かり、
もう絶対利用しないと心に誓ってブックマークも全て削除しました。
閲覧のみでは法的な罪には問われないようですが、
それでもやはりいけないことをしてしまった、作家の方々に申し訳ないという罪悪感にずっと苛まれております。
作家様方に償うにしても、お金の余裕も
読んだ作品や作家様全てを覚えてるわけでもないため全て購入することは難しく、
本当に応援したい作家の方々の作品を先日いくつか購入したくらいです。
そして何より許せないのが「自分は本当に気がついていなかったのか?」ということです。
漫画を無料で全て読めるなんて本当に不信感を持っていなかったのか、
本当は「あれ?これでいいのかな?」と思いつつ「誰も違法とは指摘してないから大丈夫なのかな?」とよく調べもせずに、
違法だという確信を持てないからといってその可能性に見て見ぬふりをして今まで利用していたのではないか、と。
実際にそうだったかはもはやうろ覚えですが、
もしそうなら余計に質が悪い、と考えて消えたくなります。
よく「反省して次に同じ過ちを犯さないよう心がければいい」と聞きますが、
そうしたところで作家様が受けた被害は埋められないとも思ってしまいます。
心の中で神様に心からの反省をし、
もう絶対二度と同じことはしない、
今後はちゃんと調べてから閲覧するようにします、と懺悔しました。
それでも罪悪感は消えず、これで終わりでいいの?と自分をずっと責めてしまいます。
償えるなら償いたいが、
何も知らない作家様方に謝って回っても向こうは急に謝られても困るし嫌な思いをするだけだからしない方がいいとの意見もあり、
今まで多くの作家様の作品を見てしまった、中には名も知らない作家様の作品もあるのに、今まで何を読んだか全て覚えてなどいないし、
全て買うべきだとしてもそんな余裕もない、
もう自分がどうすればいいか分かりません。
いくら反省を繰り返しても「まだ足りない」と膨らみ続ける罪悪感に苛まれております。
どなたかご助言を頂けないでしょうか。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの経験も役立てていただきたいなと思うのですよ。
ネットは身近な情報源でありますが、莫大な情報から、確かなものかもわからずに、知らずに利用したり、勝手に流れてくるものもありますね。手軽さの中に、違法なものも紛れ込んでいます。
あなたがよく気づいてくださったなと思うのと、その罪とどのように向き合い償うのかは、生涯かけて自身に問うていくものなのかもしれません。そして、ちゃんと身にして学び変わっていくことなのだろうと思います。
作家側のご苦労もあるでしょうね。大事に作り上げ、世に出した作品が、違法に流されてしまう。
後を立たない違法行為に何ができるのか。あなたの経験も役立てていただきたいなと思うのですよ。それも作家や作品を守る償いの形かな。罪悪感だけでなく、考えてみてくださいね。問う生き方を。それが、あなたも社会も変えていく一歩。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
そうですね、ずっと「ただで読んでしまったからその対価を払うことが償いだ」と思い込んでしまっていたかもしれません。
様々な作家さんのことを思うなら他にも出来ることがあるかもしれないのに、そこに気づけていませんでした。
お金を払えば償えるかといったらそうではありませんよね。
きっと私がするべきは作品への償いではなく、いけないことをしてしまったという「行為」に対する償いだろうから。
私に出来ることといっても私だけでは違法サイトをすぐに根絶出来るほど大きな力もありませんが、
私も被害に遭われている作家さんのことを思うと無断転載や違法サイトが許せず腹が立ちます
なので今後は読みたいものはきちんと購入するだけでなく、
周りに同じように知らずに利用している人がいたら違法であると気付かせて少しでも利用者を減らしたり、
無断転載を見かけたら報告するなど、微力ながらでもそういうものが無くなるよう、
知らずに利用して私のように自分を責めてしまう人が少しでも少なくなるよう、クリエイターの方々に少しずつ返していこうと思います。