怒りとの向き合い方、対処法
自分は知的障害者の暮らす施設で働いています。その中で思い通りに行かないことや常識ではありえないような行動をとる利用者に対してイライラしてしまいます。酷い時には態度に出てしまうことがあり、その後自己嫌悪に陥ります。
自分自身にも障害があり、ストレスに対して耐性が低いこと、完璧主義だということも原因の1つだと思っています。しょうがないと諦める心持ちが必要なのではないかと考えているのですが、何か怒りに対してアドバイス等頂けると幸いです。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
回答の結論は…「結論出さないこと」です。
この問いに答える資格があるのは「自分で自分の怒りをコントロール出来る」お方だけでしょう。
とすると、私は不適格かも知れません。もっと申せば、本当にあなたを納得させるお答えの出来るお方は「さとりを開いたお方=仏様」だと思います。
仏教では怒りを瞋恚(しんに)と申します。…自分の思いと異なるものを恨み、憎むことです。
この瞋恚はよく「炎」に喩えられます。怒りは炎となって相手に襲いかかります。そして同時に我が身をも焼いていくのです。故に瞋恚は本当に恐ろしいのです。避けなくてはなりません。逃げなくてはなりません。
その為のヒントは、先の「自分の思いと異なるもの」に向けられる…という一節です。
つまり、「物事の正しい在り方はこうである、このようでなければならない」…そんな思いを持つことから、そのような思いから外れている相手に腹が立つのです。
ならば、一番手っ取り早いのは「我が思いを持たないこと」です。
何だか情けない、人として正しくないのではないかとお感じでしょうか。
でも、しょせん我が思いなんて、いくら相手のために、相手に良かれと思ってのものであっても、全部 我が煩悩から発しているのです。
我が思いは煩悩の範疇を超えることはありません。だからこそ煩悩を滅した仏様の御心、御諭しを頂いていくのです。
要するに我の思いは煩悩なのだから、そこから容易に結論は出さないことです。
結論を出さずに考え続けるのです。なぜこの人はこう言うのだろうか、このように行動するのだろうか、その真意は何なのだろうか…考え続けましょう。
自分なりに結論出して、それで相手を判断していく…それはその方が自分が楽だからです。
でも相手の思いやこれまでの経験など私たちに簡単に分かるはずはなく、だからこそ結論を急いではならないのです。
「おっと、そうきたか」「そこまで言うか」…どうぞ、まずはお相手の言動をそのように受け止め、それから御自分でしっかり対処法を考えましょう。すぐに正しい対応が分からなければ…まずは怒らない、怒らないように心掛けましょう。
いずれにしても、あなたは本当に尊い御仕事をなさっていらっしゃいます。そのことに心からの敬意を表します。
どうか御身御大切になさって下さい。
仏様はいつもあなたの側にいらっしゃいます…。
質問者からのお礼
回答頂きありがとうございました。
この仕事を始めた頃は何もかも新鮮でどうしてこんなことするんだろうとよく考えていましたが、今はまたかと考えてしまっていることが多いなと振り返ることが出来ました。初心を忘れずに頑張っていきたいと思います!
尊い仕事だと言われたことなんて今まで1度も言われたことがなくとても嬉しく思いました。本当にありがとうございました。