仕事をしないアルバイトに腹が立つ
異動先の庶務のアルバイトが仕事をしません。
彼女は1度席を離れると、30分から1時間近く帰ってきません。他部署に親しいアルバイトがいるらしく、そこで雑談をしているようです。
上司に彼女は何の仕事をしているのか尋ねると「彼女はバイトだから。」と、黙認しているかの物言いをされました。
庶務という仕事柄、他部署に書類を届けにいくことがあり、不在になるのは仕方がありません。しかし1日に何度も長時間いなくなると正直、よい気はしません。仕事の責任感がないのか、急ぎの案件の書類をいつまでも放置していることもあります。何度か相手先に叱られたようですが気にする様子もありません。
私は彼女を信頼できません。
人に話しても「そんなにサボる人、いる?」と信じてもらえません。むきになって彼女のことを言えば、堂々巡りで、いずれは自分に何か返ってくるのではとも思い自制している状態です。
彼女は20年近くアルバイトで働いているらしく居心地がよいのだろうと思います。なかなか変えることはできないと思います。自分の心の持ちようを変えていくことのできる方法があれば教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人を変えることはとてつもなく難しいですよね。
拝読させていただきました。
現代では雇用形態が様々でありますことから、働く者の気持ちも その雇用される体制に合わせて自身の心持ちもそこに合していることが多い時代になりました。
給与に見合った仕事だけであったり、いまある仕事と給与で日常生活に満足している心地をもっていると感じます。
会社は継続体制の中には興隆していかなければ存続できない理念が存在すると思います。他人からすれば誰が社員で、誰がバイトとは見分けはつかないものですよね。
仏教では求めることはすべて執着の対象と捉えます。これは四苦八苦の中にあります「求不得苦」というものです。また釈迦は「他人することしなかったことを見るなかれ、自分のしたこととしなかったことだけを見よ」と説きます。
それはここでの質問に説いていくのであれば、対象する嫌なバイト人に「こうであって欲しい、こうでなければならない、こうであるべきだ」と求める気持ちが みうさんの心を乱す原因となっているからです。
限られた人生、限られた勤務時間を嫌だと思う人に みうさんの大切な時間を奪われていると思うと心労に繋がるからなのです。
会社や組織には立場人が存在し、いわゆる上司や教育係などの立場に みゆさん自身が赴けばバイト体制を覆えすことができるように自身の向上心を高めることが成長・安心・静穏の境地を得れるものです。
仏教での三毒である「貪瞋痴」では、むさぼる、怒り、おろかは自身の心に悪の栄養を注ぎ込む行為となり、心労が重なります。
私たちは『普通・当たり前・基準』を個々が持ち合わせていますが、この普通こそ他人からすれば偏見と感じられるのも人間なのです。
会社で働く仲間として、平等を求める気持ちは誰もが在りますが、人を動かしていくことは「知識や力では動かないものであり、思いやりを与えることで人は気づき動いていくもの」と仏教ではとらえていきます。これを利他行と申します。
・他人を見るなかれ、難しいです。
・かたよらない、こだわらない、とらわれないことです。難しいことです。
・他人に行為に時間を奪われないことです。
・他人に求めないことです。
そのバイトの方は、人生で気づくものと気づかないものが在ります。人々と調和をはかる上では向いていないかも知れません。
そのバイトの方には失礼ですが、会社に存続の危機があるときは、バイトは即座に切られる存在です
質問者からのお礼
法源さま
ご回答をいただき、ありがとうございました
「他人に求めないこと」
自分の価値観を同じように彼女に求めていたのかもしれません。私は私で、自分を高めていきたいと思います。