お坊さんなら、どうしますか?
人の役に立ち支えになる人になりたく、行動してきていますが…
自分自身が悩み辛い時に、信用出来そうな人に話しても、子供や親に私の病気の事を話しても…
「ただ心配してもらいたいだけでしょ」と家族から思われ…
信用出来る、共感してくれると思った人に色々と話をすると、距離を取られてしまいます。
お参りをして手を合わせも、自分で状況を変えようとしても、何か他の事をしていても…
悪い流れや、悩みが残ったままです。
誰かに話していくうちに、自分の中で「話を聞かされてる側の方が、嫌な気分になってしまう、嫌われてしまう。」
と思ってしまい、どうしても顔色を見てしまいます。
案の定、離れていった人は何人もいます。
手を合わせても、何をしても辛い気持ちや悩みが解決しなかった場合、お坊さんなら、どうしますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
繋がり
えみさんはたぶん、自分の人生を生きられていないのでしょう。
目の前の「他人」の人生を生きておられるのだと思います。
ご自身が感じたことを自分事として意識されておらず、他者の動向に善し悪しの主軸を付けているので、気持ちを振り回されっぱなしなのでしょうね。
例えば私だったら、付き合いが上手くいかなくて離れてしまうお相手とは「これ以上の縁はなかったのだな」と、その都度理解してしまいます。
人と人は親子であれ何であれ何処まで行っても他人同士ですから、諦めや一定の線引きが必要です。求めすぎたらもっと壊れますからね。
コツと言うほどのものでもないですが、手に余ってこぼれ落ちそうな「あの人とああしたいこうしたい」という欲を、ひとつふたつ置き捨ててみると良いです。
執着している感じがお相手に伝わったら、それこそ離れていくでしょうし。
人を支えてあげたいと思うのなら、先ず自分が他の誰かに支えられていることを忘れずに。
と同時に、既にあなたは人の支えになっているのです。
大丈夫です。気がつかない深いところで、ご縁は幾重にも繋がっております。
だからこそあなたは今、こうして生きておられるのです。
質問者からのお礼
TAIKEN様
お礼が遅くなり申し訳ございません。
人の支えになりたい、嫌われたくないというのも欲になるのでしょうか…
年齢を重ねる度悩みは増えて、孤独感も出てきます…それより、この歳で悩みを相談したり欲が出てくる事を恥ずかしく情けなく思い、たまにダメな人間だから、これから先生きていく意味が無いのかと思ってしまいますが…
いただいたアドバイスを頭に入れて、生きていきたいと思っております。
回答ありがとうございました。