人付き合いがわからない
ロボットのように生きています。仕事はそれなりにやってきたので収入は十分あり経済的不安は皆無です。
昔から人付き合いがわかりません。というか他人と一緒にいると疲れてしまいダメなのです。私は白黒決める極端な性格ですぐに答えを出してしまうため、他人に悩みを聞いてもらったこともありません。
「収入さえあればいいか」と人間関係のモヤモヤを殺して日々過ごしてきましたが、33歳を迎え段々と寂しくなってきました。
ストレス発散のためにも趣味のギターでバンドを組みたいのですが、上記の通り人間関係で億劫になり上手くいきません。平日に仕事で他人に疲れてるのに休日まで他人に疲れては仕事に支障が出てしまうと考えてしまいます。onとoffの切り替えがヘタクソなのです。思えば子供の頃からそうでした。学校では元気に友達と遊べますが休日に会うことはほぼ皆無でした。人付き合いの訓練を子供の頃にやってこなかったのも影響してるのだと思います。他人といるのは疲れますが、話をして自分が救われる瞬間が少しはあるなと感じることもあります。
とにかく毎日憂鬱で楽しくないです。安定した収入は手に入れました。あとは豊かな人間関係があれば最高です。
しかし豊かな人間関係とはなんでしょう。
みなさんの考えをお聞きしたいです。
そして私はどうするべきでしょうか?
1人でばかりは辛くなりました。
思うままに乱文してしまいましたが、何卒お助けを。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「答え」があり過ぎる現代社会
拝読させていただきました。
昨今ではネット社会といわれる情報が常々飛び交っています。しかし、その情報を作っているのは人間です。人はついつい良いところに寄りに行く性質をもっているものです。いわゆる人は「楽をしたい・楽しみたい・豊かでありたい」というものを常々求める生き物です。
・求めるものは得られない苦しみが根底に誰にもある。
仏教では「求不得苦」と申します。求めるものは得られないという苦しみなのですが、これはいつの時代、どんな環境下においても誰にも生じるということを理解しておきなさいということです。根底に求めるものは得られない苦しみがあることを理解しておくのと、理解していないのでは大きな違いが心境に反映されていきます。
・欲は欲を作り、果てることがない。
この欲もその時、その時代や流行り等により欲の持ち方が変化していきますが、どの時代も満たされたとしても、また違う欲を求めるのが人間の性質なのです。
よくある例えをしますと、結婚したら幸せとその時は感じていても現実は違った。また家族の幸せを満たすにはと次から次へと自身に宿題が出されます。
・小欲知足の中に精進を忘れない。
カト325さんはとても良いものをお持ちてす。それは仕事を続けることです。仕事は何のためにするのか?と問題視されますが単純です。「生きるために」誰にも平等に与えられた権利です。否が応でも続けることは精進されています。素晴らしいことです。極度にわがままであれば、嫌であれば即座に転職もしくは楽をするための逃げ道を探すでしょう。続けられることは仏教では精進(努力)であり、忍辱(忍耐)の修行なのです。実は知らずのうちに多くのことを得られ、徳を積んでいるものです。
・生きにくい時代ではなく、生きていない時代。
科学が進化し、人々が交流する機会というものが極度に減少した世界です。心が現代社会に追いついていないことを理由のひとつですが、追いつき方を誰も知らないということもひとつです。
カト325さんが人間関係をどこかで求めている心は純真無垢な主であり、普通のことでもあり、そうでありたいと世の中に伝えたいもの感じます。
・急いては事を仕損ずる。
20歳までは同時代を生きるので、比較対象が見解できるものの、それ以降の年齢では見解もしなくていいのです。
焦らずゆっくりと自分らしく生きましょう。
質問者からのお礼
求不得苦。心に沁みました。
隣の芝は青く見え過ぎるのかもしれませんね。自分でやれることをやります。最近はいい意味で諦めることも身に付いてきた気がします。ありがとうございました。