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先日死にかけました

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有り難し有り難し 46

タイトル通り、事故で死にかけました。
その時、はっきりと死を覚悟した感覚がつきまとって離れません。
寝ていても苦しくなって過呼吸のようになり目が覚めます。
こわくて仕方ありません。
そしてわたしの人生を振り返るようになりました。
たぶん幸せな人生でした。
つい5年前くらいまでは。何1つ疑うことなく生きてきました。でも5年前に4番目の子を産んでから劇的に変わりました。
4番目の子は重度の自閉症があります。
言葉は話せません。ガマンもしません。言葉は悪いけど動物のようです。
本能のままに生きています。
わたしはこの子がとてつもなく愛おしいです。
笑っていても泣いていてもです。
道路でもお店でもジタバタしながら泣きわめく子を周りの人は何事?と怪訝な顔をして見ていきます。
でもわたしはうらやましく思い自分を素直に表現する我が子を愛おしく思うのです。
でも、そんな我が子を見ながらわたしはこの子を幸せにしてあげられているのかと思ってしまうのです。
わたしは病気がちで休みの日も家にいることが多くつまらない思いをさせてはいないだろうか…
わたしの勝手で離婚してしまったからこの子にもっとあげられるはずだった幸せを奪ってしまったのではないか…

そんな時強く思うのです。
この子はなぜわたしを選んで産まれてきてくれたんだろうと。
わたしじゃなかったらもっと幸せだっただろうに…
この子を本当に愛おしく思うからこそ苦しくなります。
そしてあの時、あの事故の時にわたしなんて死んでしまえばよかったのではないかという思いに取り憑かれてしまいました。
疲れてしまったのもあるのかと思いますが…

1人で思い悩むのにも疲れてしまいました。
何かお言葉がいただきたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一人ではありませんよ

とにかく無事でなによりでした。
お子さんはお母さんだけが頼りですからね。
子供が4人もいて、シングルマザーで、4人目の子が自閉症、私には察する事も出きないくらいの大変な苦労があるのだと思います。

あなたは一人ではありませんよ。
ここハスノハにも話し相手はいますし、自閉症の子を持つ親の集まりもあります。
忙しいでしょうが、タイミングがあれば、他の人とも交流してみましょう。
知っていると思いますが、一応参考のサイトを載せておきます。
http://www.normanet.ne.jp/~autism.g/

また、読んだかもしれませんが、以前テレビで紹介していた本も一応紹介しますね。
なんと自閉症の人が自ら書いた本です。
http://www.amazon.co.jp/自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心-東田-直樹/dp/4900851388

今は言葉はなかなか通じませんが、いつか、絵カードを使うなどで、会話ができるようになるといいですね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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あなたはお子さんに選ばれたんです。

今回は、自閉という大きな大きな個性をもって、その個性をもって生きよう!でも普通のお母さんではら耐えられないかもしれないけど、この人なら受け入れてくれるはずだと、あなたのところに来たんです。あなたはあなたで、よし今度は強い個性を持った子をしっかりと受け止めるぞと、自分でも受け入れることを決めてきているんです。ですから。あなたもおこさんも然るべくして親子になったんですよ。自ら選んでいるんです。どう生きるかは、あなた方次第ですよ。
瀕死の事故、大変な想いをされましたね。うちの宗派ではないのですが、道元禅師さまという偉いお坊さまがせいをあきらめしをあきらめるは仏家一大事の因縁なりとおっしゃっていますよ。生死とは人にとって最初と最後の課題です。その死という課題に触れたんです。ショックを受けられても仕方がないとおもいます。本当に怖い想いをされましたね。その想いを怖いとして恐怖心のまま、おいておくのか、それでも私はお陰様で生きているのかと、考えることであなたの人生はより奥深いものになるように思います。私も車に跳ね飛ばされたあの時の空を飛んだ感覚今も覚えていますよ。でもいま生きていますしね。また懲りずによそ見して駐車してる車に自転車で激突したりね。頭に小さいですけど、陥没痕みたいなのがありますよ。仕方がないことですが、いまを生きててありがたい。仏さまから守っていただいていると、信じて疑いはありません。
どうかお元気でお幸せに!

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

早速の回答ありがとうございました。
窓から気持ちのいい風が入ってきたなぁと思ったりわたしが作ったオムライスをおいしいといい喜んで食べる子供たちの笑顔だったりきっと幸せを感じる場面はたくさんあるんです。
でも今はちょっと疲れてしまっただけ。
自信がなくなってしまったところを力強いお言葉で励ましていただき、また頑張れそうです。
ありがとうございました。
早速ネットで本を買わせていただきました。
他の方の話も参考にさせていただき自閉症の子どもともきちんと向き合っていきます。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ