過去の恋愛の禍根
先日はご回答いただき、ありがとうございました。
あれからお言葉を胸に何とか頑張ってきました。
ただ、ときどき思い出して激しい後悔と罪悪感に襲われます。懺悔させてください。
友人と同じ人を好きになったとき、「〇〇(好きな人)のこと、どう思う?」というラインが非常に恥ずかしく、素直になれずに「人としては好きだよ」と返したこと、それなのにその人と友達だからと2人きりで遊びに行ったこと、その人と付き合ってしまったこと、そのせいで友人は心を病んで自殺未遂までしたこと…あの頃に戻れるなら全てやり直したいです。当時の私は余りにも恋愛に疎く、思いやりに欠け、周囲の目を気にしなさすぎだったのだと思います。
彼女からは嫌われて当然で、あからさまに態度にも出されましたが当時の私は何故そうなったのか分からず、ずっと「大丈夫?どうしたの?」と彼女を心配し続けました。彼女のSNSで私に向けたであろう悪口も書かれましたが、それ以上に彼女が精神的に参っていることが分かっていたので純粋に心配でした。ですので、共通の知人と連絡を取り合って彼女の様子はどうかを教えてもらい、「とても心配だから彼女をよろしく頼む」と毎回最後に言っていました。今考えるとどの面下げて言っているんだという感じですが、当時は大真面目でした。
その後、しばらく経ってから彼女から呼び出され、仲直りしようと言われました。共通の知人が私の言葉を伝えてくれていたらしく、それを聞いて彼女は思い直してくれたようでした。とても嬉しく、抱き合って仲直りしたのを覚えています。でも、もう彼女とは交流はありません。あの時彼女が「ごめんね△△ちゃん(私)。△△ちゃんはすごく大人なのに、自分だけ子どもで…」と言っていたのが忘れられません。大人は彼女の方で、私こそが子どもだったのだと思います。余りにも人の気持ちに鈍かった。
今さらどうしようもありません。彼女の前に表れるつもりもありませんし、もう恋愛するつもりもありません。資格がないのだと思います。ただ、毎日「本当にごめんなさい、あなたが生きていてくれて良かった」と彼女に思うばかりです。
長々と拙い文章、失礼いたしました。
・過去の失敗に囚われ、身動きが取れなくなってしまう ・八方美人になってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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後悔先に立たず、ですね
ねねねさんこんばんは。
不思議な縁あって、またまた質問を見させていただいたので、私の感じる事を述べさせていただきます。
駆け出しの身でありながらの拙い言葉を大事にしてくださり、私自身、身に余る思いです。本当にありがとうございます。
過去の恋愛の禍根についてですね。やはり、人間というのは何かをしなければ、生きていけません。しかし、何かをするとなると、なにかしらに影響を与えてしまいます。それを恐れてしまっては、何もすることができなくなり、何をするにも恐くなりますね。すなわち、人間は、自分の成すことによって、誰か(他人)に影響を与えてしまうようにプログラムされているのではないでしょうか?それが、相手にとってよければ、良いことであるし、相手にとって悪ければ悪いことになるのでしょう。そのような私たち人間の身の事実に、素直に頭を下げる事しか出来ないのだと思います。
私も、何か失敗してしまったときに、相手に深い傷や損失を与えてしまったと、とても後悔してしまいます。ですが、そのときに
「自分事は他人事に、他人事は自分事に」
という考えにいたりました。何でもかんでも「自分のせいだ」と考えるのは、裏を返せば良くも悪くもそれだけ
「私は人に影響力を与える人間なんだ」
ということの誇示になるのではないかと考えました。それは、本当に物事を正しく見られているのでしょうか?私はとても疑問に思いました。ですので、何か問題が起こったりした場合は、少し遠まきに、ながめて落ち着いて考えてみるのもいいのかもしれません。
話が込み入ってすみません。つまり、自分の成したことが必ず決定打であったのだと考えなくてもいいのかもしれないということです。過去の自分は今の自分を超えることはできません。今なら気づくことを前は気づけないのはしかたがないことかもしれません。
禍根を気にしながら生き続けてもよいし、それをもとに自分に問いかけ、その学びをもとに行動していく、どちらでもいいのだと思います。
良いも悪いも残念ながら私たち「人間」の分別です。そこを超えることは難しいのだと思います。ねねねさんにお答えしたことをもとにもう一度、私自身生き方を見直していきます。貴重な機会、誠にありがとうございました。
質問者からのお礼
裕真 様
こんばんは。お礼が遅くなり申し訳ございません。
ご縁があり、また裕真様にご回答いただくことができ大変嬉しく思います。
「自分事は他人事に、他人事は自分事に」というお言葉、とても胸に響きました。何でも自分のせいにしてしまうのはある意味うぬぼれというか、物事を冷静に見ることができていない状態に陥っているということなのですね。まさしく考えすぎて堂々巡りになってしまっていた私でした。人を傷つけるのを恐れるあまり人との関わりを極度に避けた時期もありましたが、これも一種のおごりだったんだなあ…と回想しています。これからはもっと物事を遠くから、落ち着いて考えてみようと思います。
本当に心がすっと軽くなり、明日も頑張って生きてみようという気持ちになりました。過去の失敗を悔やみ続けるのではなくそこからどうするのか、私も探りながら行動します。
この度も大変お忙しい中、ありがたいお言葉をいただき誠にありがとうございました。