死にたいと思うことをやめたい。
25歳。
男の子7歳、女の子3歳 2児の母親です。
いつもふとした時に死にたいと思うことが沢山ありそんな自分に疲れてきています。
強く死にたいと思う時
人と話したり関わったりがたくさんある日には強く思ってしまいます。
人と関わるのは昔から本当に苦手で。
ですが、子供が外で嫌な思いをしないように人と話す時常に仮面を被ります。
ドっと疲れます。人と話し終えた後に変なこと言ってなかったかな?あの返しはあれで合ってたのかな?と余計なことを考えて寝れない日もあります。
本当の自分は無愛想だし目付きは悪いし愛想はないしだらしないしニコニコ笑うのは疲れるので本当は笑いたくないし外にでず一日中部屋に引きこもって誰にも会わずに過ごしたいなとか考えてしまうダメな人間です。
こんなダメな本当の自分がバレたらどうしようそんな不安も常にあります。
いっそ死にたい楽になりたい。
考えない日はないです。
子供がいなかったら私はとっくにこの世にはいなかったと思うのです。
いつも思います。
わたしがいなくなっても子供達が大丈夫になるまでちゃんと生きようって。
それまで生きようって思うのですが
自分を保つ自信がないのです。
死にたい気持ちをなくしたいのです。
アダルトチルドレン 父子家庭にて育ち 父とは8年前から絶縁状態。 ネグレクト/虐待。 希死念慮に悩まされています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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素の自分を出すということ
こんにちは。
一読して、「死にたい気持ち」はあなたの心の叫びを表現しているのでは、と感じました。それは、プロフィール(お坊さんだけ把握)の事情も背景としてあると思います。
「こんなダメな本当の自分がバレたらどうしよう」という「不安」があるのですね。「仮面を被」った方が上手く世渡りが出来る、それは世の現実としてあります。良い人、明るい人、社交的な人、そう思われなければ受け入れられないと思うのには相応の理由がありましょう。
また、「子供が外で嫌な思いをしないように人と話す時」に「仮面を被」る、というところからママ友同士のお付き合いを含めての生きづらさ、だと受け取りました。子供同士が同じ学校などに所属するという、範囲が限定されたクローズドな女性同士の集いには相応の息苦しさもあるのだと想像します。母親である自分の言動によって子供が「嫌な思い」をするのではないか、そういう心配は尽きないと思います。ママ友と一言で言っても色んな人がいると想像します。
しかし、その一方で「仮面を被」らない方が、受け入れられるという現実もあると思います。
「仮面を被」っている、どこかしら緊張感のようなものは知らずしらずのうちに相手には伝わります。「変なこと言ってなかったかな」「あの返しはあれで合ってたのかな」、これが気になるということは相手に合わせよう、相手の心に違わぬようにしようという焦りでしょう。
人によって気にならない場合もありましょうが、あまりに相手に合わせようとするのは返って不自然になります。こんなに同意できるものだろうか、物分りが良くていいのだろうかという不自然さ、です。むしろ、是々非々でソフトに自分を出して行くほうが、自分と気の合った親しい人を見つけることができます。
あなたは、現在素の自分を出さないがために孤立してしまっている、のではありませんか。少しでも自分を出すことによって受け入れられる喜びや、安心を得る。人(あるいはママ友)と通じ合うことで情報交換が出来たり、つながっていることを実感する。そうやって人と繋がり合うことで、バランスの取れた現実感覚が得られる。そこに、自分は生きていて良いんだ、生きていきたいという力が湧いてくるのでは、と思いました。
お大事にされてください。
そして、いつまでも子供さんのお母さんであり続けてください(字数制限)
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
すごく嬉しいです。
よく人に物分りがいい、や
なんでも引き受けてくれる優しい人
と言われる事があります。
仰る通り私が仮面を被り接していることをいい事に利用したり、不自然さを感じたりしてる人は中にはいると思います。
素の自分をだすということは私にはものすごく勇気のあることだと思います。
いつでも自分を隠して逃げてきたので
頑張りたいと強く思いました。
死にたいと願うことはすぐにはやめられないかもしれませんが回数を減らしていきたいです。
人と関わることで死にたいと感じてしまう
けれど、生きたいと願うときもまた人と関わる繋がる時なんですね。
感慨深いです。
有難いお言葉本当にありがとうございました。感謝致します。