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いつか必ず死ぬ恐怖を克服する話

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有り難し有り難し 6

小さい頃から、夜寝ている時にふと、自分という存在はいつか必ず死ぬんだと考え、それを想像したときに恐ろしくなって...というのを20年以上続けてきました

その恐怖を克服するために自分なりに考え出した答えがあります

人間というのは、科学的に言えば素粒子の塊である、死ぬということは今まで塊になっていた粒たちがバラバラに解散することである、粒そのものが消失するわけではない、あくまで失うのは「人間」という形だけである

他の粒たちの助けを借りて実現できていた、見る力、聞く力、考える力、記憶などは全て失われる

でも、この身体(脳)の中心にいる「自分」という個性を持った粒は失われない

火葬され、煙突から吹き上がり、風に乗り、また別の何かになる

何にしても、死ぬということは、人間という形を手放し、先に逝ってこの世界を舞っている皆のもとに合流することである...

こういう風に考えると、死ぬということが絶対の孤独をもたらすものではなく、むしろ生き抜いて老いた後の孤独を解消するものであるとさえ思えてきました

自分なりに納得できる答えで気に入っているのですが、こんな話をする機会がありません(家族や友達といきなりこんな話をする気にはならない)

お坊さんの方々はいつか必ず死ぬことについてどのように考えているのでしょうか

仏教の教義には色々な考え方があると思うのですが、それを絶対の教えとされているのでしょうか

2022年1月16日 22:48

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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残された時間でできることを考える

拝読いたしました

人は必ず寿命があります
残された時間と健康で過ごせる時間を考えて

例えば
目が悪くなり白内障になって本が読みにくくなるまで◯年
だから今のうちに最低読んでおきたい本を読んでしまう
みたい映画を見ておく
行ってみたい場所があれば
飛行機に乗って時差ボケに耐えられる年齢と場所を考えて
幾つまでに行ってしまおうと
個人的には
残された人生の時間と体力を勘案して行動することが多いです

死ぬことを考えるのは
生きることを考える
重要なヒントです

お釈迦様は
死後については語らないという方法をとられていたそうですよ

2022年1月17日 10:08
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有り難し
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中川龍伽
大阪府にある山の頂上で小さなお寺を守っています 一般家庭に生まれ ...
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