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呪いをしてしまい罪悪感に苦しんでいます

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こんばんは。
過去私はいじめをうけ、抵抗できず呪いに手を出しました。
その時はすっきりしたのですが、今になりすごい罪悪感にくるしんでいます。

というのも、私自身が統合失調症になり、幻聴などが聞こえて、過去のことをかなり声としていわれるからです。

呪いはその時は相手が怪我をしたりしましたが、そのあと私もあまりいい目にあいませんでした。

人間関係の不和の悪化やいじめの悪化などです。

今もあんなことしなきゃよきゃったとお持っています。

死んだ後地獄に行くのか生きながらにしてこの病気という呪いを受けていくのかと思うとつらいです。

いじめのときに反抗できなくて、やったことで、いじめられっ子は裁かれず、私だけが裁かれこんな目に遭うのかとたまにすごく苦しくなります。

でも、呪いなんてしなきゃよかった。本当に相手を苦しめたかもしれない。今は神社仏閣で相手の幸せを願っていますが、心がはれません。
どう考えたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その時呪った。それはそこで終わり。で今私は何をしているか🦊

その時は呪った。
今はその呪ったことを後悔して自分をいじめている。
私はだめだ。だめだ。あんなことしなけりゃよかった。後悔、後悔、自分を公開処刑。自分を自分で今、その事を思い出しながらネガティブ思考で斬りつけているでしょう?「今」まさにそういう自傷行為をやっているということに目を向けることですよ。
それがあなたを傷つけている「今」の自称行為ですよ。
そうやって、今までも自分を傷つけてきたでしょう。斬りつけてきたでしょう。
そういうのを本当は呪いというのですよ。
自分が自分を呪っていることに自覚がない。
まさに呪いです。
だから、冒頭に申し上げたように、自分が自分にその都度、その都度やっていることに目を向ける。
別に深夜に森の中で藁人形にコンコン!🦊恨恨!と金づちで釘を打ちつけんでもいい。それと同じようなことを終わった後もやっている今のあなたを見なさい。それ以前からも自分が自分を自分の思いの金づちと釘で打ちつけ、悲しい思い、痛い思いをしてきた現実をみつめなさい。
いい加減なことでは救われないよ。
曖昧にしちゃぁ、救われないよ?
自分が自分のやっていることによーく目を向けることだよ。
何を言われているのかわからなければもう一度、読み返してみてください。
あなたは、あなたが、あなた自身を自分の心の中でいつもイジメてきたような面がある。その心の「そういう心の動かし方」こそがあなたを一番傷つけているのです。それが恨みや呪いたい気持ちになる。助かりたい、苦しみから逃れたいというだけなのです。
だったら、最高の方法がある。
それが、自分が今までやってきたことの本質に目を向けることなの。👀
貴女があなたの心の動かし方で自分をネガティブ思考という釘とトンカチでコンコン🦊とごんぎつねも兵十もびっくりなドキュン、バキュンを自分でやってきたことを止める。
それを止める努力をしましょう。自分虐めを止める。ネガティブ思考をやめる。
そして、これからは自分で自分を傷つけない考えかた、心の動かし方を「したい」と志すのです。それが仏教。仏道。自分が自分を救う道の始まりですよ。
苦しみから抜け出す方法はまず、自分が自分を化かしていることに気づくこと。
釘をさすようですが、それもあなたが今後、遠回りをしないための鍼灸治療です。
「ごん、オレだったのか。いつも自分を追い込んだキツネつきの正体は…。」

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

安心なさって下さい

拝読させて頂きました。
あなたがいじめを受けて大変辛かった時に相手を呪ってしまい、相手がケガしてしまい、今も呪ったことを心から後悔しておられることを読ませて頂きました。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがいじめや嫌がらせを受けてその様に思ってしまったことはやむを得ないとも思います。とはいえあなたが呪ってしまったことであなた自身の心に深く傷跡を残してしまったことも事実です。
先ずは呪ったことを心から反省なさって下さい、そして呪ったことを心から神仏やあなたのご先祖様方に誠心誠意懺悔なさって下さいね。そして心の中でもいいですけれども呪ってしまった方に呪ったことを心から謝って下さい、誠心誠意謝って下さいね。
そして二度とその様な呪いをなさらないように神仏やあなたのご先祖様方に心からお誓いなさって下さい。
「人を呪わば穴二つ」ですからね。
あなたのその懺悔や謝罪や誓いを神仏やあなたのご先祖様方は必ず全て受けとめて下さいます、優しく受け入れて下さいます。そしてか神仏やあなたのご先祖様方はあなたをお許しなさって下さるでしょう。どうか神仏にお任せなさって下さい。
あなたがこれから善き方へと善き道へと導いて頂きます様にと心からお願いなさって下さい。
あなたはこれからの人生を心おおらかに生きていくことができるのです。神仏やあなたのご先祖様方はあなたのことをいつも見守っていて下さいますし、あなたを善き道へとお導きなさって下さいます。そしてあなたの心が清らかになります様に素直なお気持ちで健やかに成長なさっていかれます様にと守っていて導いて下さいますからね。そしてあなたがその天寿を全うする時には必ず仏様がお導きなさって下さりご先祖様方が優しくあなたをお迎えなさって下さいます。そして仏様の元にて皆さんと一緒に清らかにご成仏させて頂くことができます。ですからどうか安心なさって下さいね。
宜しければ「七仏通誡偈」というお経がありますから検索して下さい。そしておとなえしてこれからの人生で実践なさって下さい。併せて”どうか仏様私を救って下さい、私をお導き下さい”と心を込めておとなえ下さい。
必ずあなたは仏様のお浄土に導かれますからね。
あなたがこれからの未来を神仏やご先祖様方に守られながら心豊かに健やかに成長なさっていかれます様にと切に祈ってます。

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個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ありがとうございました!
深く反省して謝罪を神仏にしたいと思います。
心救われました。ありがとうございました。

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