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罪悪感 自分は生きていいのか分からない

回答数回答 3
有り難し有り難し 52

こんにちは、私は来年大学生になるものです。
私の後悔をお聞きください。
私は過去に過ちを犯しました。
人を殺したりという事ではありませんが他人の心を酷く容易く傷つける最低な行いをしました。
過ちを起こしたのは去年の春頃、ある日ふと過ちに気づいたのが秋頃です。
何ヶ月も経ってやっと自分のやった事の罪の重さ、どれだけ人を傷つけるかを理解しそれまでのうのうと生きていた事がとにかく情けなくて仕方ありません。
今こうして自分が被害者の方から何も法的に訴えられたりもせず(もしかしたらこれから訴えられるかもしれませんが)望んでいた大学に合格した事も周りの人達がそれに喜んでくれている事も凄く申し訳ないと思うのです。
自業自得ですが「私は犯罪者だ、最低な人間なんだ」というモヤモヤした苦しい気持ちに一日中囚われています。
出来れば被害者の方に謝りたいのですがそれも現状叶わない状態です。
一方で「私の悪事がバレたらどうしよう、訴えられて家族に知られたらどうしよう、訴えられたせいで家族が職を失ったらどうしよう、大学に行けなくなったらどうしよう」という考えが浮かんで来て
もしかしたら自分のこの申し訳ないという罪悪感すら気づいていないだけで全て偽善で本当は反省なんて全く出来てないんじゃないか、さっさと罪から背を向けて逃げたいだけなんじゃないかという甘えから来てるんじゃないかと思うのです。
私は大学に入って社会福祉士の資格を取り多くの人の力になる事を夢見てきましたが
今最低な人間になってしまった自分のことを振り返ると私にはもうそんな資格はない、人を傷つけた自分が福祉に関わるなんて烏滸がましいんじゃないか、どんなに変わろうとしてももう進めない、大学の門を潜る資格も家族に祝福される資格もない、日々の中で喜びを感じることすら許されない、ただ人に害を加えることしかしなかった私は無価値でいっそ死んだ方が良いと毎日考えています。
長くなってしまってごめんなさい。
ここを見ている方々はどう思われますか。
叶うならどうか私に喝を入れてください。
法を犯し人を傷つけた最低な人間である私はこれからどう生きるべきなのでしょうか。

2022年1月22日 2:05

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

行き詰まり死ぬことまで考えるなら、きちんと向き合う場を持って

前回の質問の続きでしょうかね。ずっと引きずっているのよね。

答えって出ないよね。罪は事実としてあなたの中に残っていくし、あなたもそれを無かったことには出来ない。だけど、家族や関係者には知られずに 迷惑もかせずにと、許される道を探る。

人というのは(私も含めてね)どこまでいっても都合よく、自分勝手なものよね。

自戒を込めて背負っていくしかないのだと思うよ。それが後の自分にブレーキをかけ、進む道を定めてくれる。

それでも許され救われていく道を求めてハスノハに相談してくれたのよね。
行き詰まって死ぬことまで考えるなら、きちんと向き合う場を持ちませんか。

お寺へおいで。
仏様に聞いていただきませんか。
あなたの進む道を照らしてくださいますよ。
きっとこれからも、人生を歩むたびに悩み続けるような気がするわ。
それなら、今きちんと仏様に向き合う(自分と向き合うことに繋がる)ことをおすすめしますよ。

2022年1月22日 16:40
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ご質問ありがとうございます。
あなたのしたことの内容が分からないのでなんとも言えないところですが、先ずは親に相談することです。実はこういうことがあったと親に報告することです。自分一人で抱え込んではいけません。
その上で、今後悪いことをしないように生きてくださいね。
誰にでも過ちはあります。
同じ過ちを繰り返さないように成長していくことが大切ですからね。
福祉のお仕事は楽ではありませんが、大切な必要とされるお仕事です。頑張ってくださいね。

2022年1月22日 16:34
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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祝福される資格は充分あります。大丈夫です。

人は誰でも、失敗しながら、時には他人を傷つけながら生きていくものです。失敗のない人生に成長はありません。人は、失敗した分だけしか成長できないものかもしれません。

今、相談者さまが大変、後悔されていること。

文面から理解できることは、わざとではなく、気づかないうちにしてしまったこと。つまり故意ではなく「過失」です。刑事事案なのか民事事案なのかもあるかもしれませんが、相談者さまは未成年です。
法律の専門家ではないので、厳密にいうことはできませんが、成長過程にある未成年ですから、法律的に守られています。倫理的にも未成年の方が守られることは当然のことです。

映画で、キリスト教の懺悔室の場面があって、犯してきた罪を話し、神に罪を許されるというものがあります。
「私、失敗しないので」は、ドラマやフィクションの中では可能でも、現実の私たちは「失敗しない人はいません」。現実の私たちは、失敗ばかりです。

過去の失敗のことで、自分を責め続けてしまうと、メンタルがもちませんので、そのような場合、キリスト教の懺悔室で神に許されれば、心が回復できるかもしれません。(ネットで調べると、信者以外はもちろん利用出来ないし、神を信じているからこその「懺悔と許し」ということみたいです)

なかなか仏教、お寺にはその懺悔室のような機能はないかもしれませんが、この「hasunoha」は、ある意味、そのような場なのかもしれないですね。

今一度、相談者さまの心の中で確認していただきたいのですが、
あなた自身が、かけがえのない大切な人です。
あなたには、今から未来に向けて、はかりしれない価値があります。
あなたには、社会福祉士の目指す資格は充分あります。
もちろんあなたは、家族に祝福される大切な存在です。
日々の中での喜びを充分感じましょう。

「ただ人に害を加えることしかしなかった」はずがありません。
周囲の人の笑顔や、楽しいことが、数えきれないくらいの思い出があるはずです。

相談者さまが心穏やかに未来に臨まれるよう、祈っております。

2022年1月22日 23:45
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有り難し
おきもち

1971年生。岐阜大学教育学部卒業。医療法人に就職し、医療事務、経理、総務...
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