孤独で旅立った父
1月25日未明に実父が82歳で旅立ちました、数年前に転倒し脊椎損傷してから要介護5認定され特養で介護生活をしておりましたが、25日朝の看護師の巡回時に既に心配停止そのまま死亡確認となりました。
今でも後悔している事は父が転倒した日、「旧友と飲み会があるから駅まで車で送ってくれ」と言われ送ったのですが、帰りは自分で帰ると言っていたので帰りの送迎の事は考えずに見送ってしまった事です。
翌朝妹から転倒し入院した連絡を受け、あの時「帰りも迎えに行くから飲み会が終わる前に連絡してくれ」と言っておけば転倒もしなかったのではないかと今でも思ってます。
近年はコロナ禍で面会も制限され最期の病院での死亡確認も妹が行ったので入室制限で立ち合えず、父の亡骸と会えたのは会堂の安置施設の窓越しからでした。会えた当初はそうでもなかったのですが、その日の晩は後悔、謝罪そして今までの感謝をし大泣してしまいました。
元警察官で威厳そして頑固な父でしたので、「男だろ?いつまでもメソメソ泣くな」と言われそうですが今はまだムリでこれを書いている今も涙が止まりません、ある程度の覚悟は出来ていたつもりですが、誰にも看取られず一人で旅立って寂しい思いはしなかったかと思うとツラいのです。
その後、夜になると泣く日が続いているので夜がツラいです。時間が解消してくれると思いますが、50過ぎの男が毎晩泣くのはやっぱりダメな男ですか?
まだ気持ちの整理ができておらず長文駄文になりました事をお詫びいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご愁傷のことと思います
大切なお父様を亡くされ、それは悲しいでしょう。泣いても当然ですよ。
たくさん泣いてください。それが供養です。
そして、後悔する必要はありません。それはそういうことで事実としてあったわけで、それ以外ないのですから。人生にもしはないです。安心してください。
四十九日、百箇日、一周忌と時と共に落ち着いてきます。これは残されたものの修行です。自分と向き合う大切な修行、お父様が与えてくれた仏となる修行です。
悲しい時は悲しむ、しかし後悔はせず地に足つけてしっかり今目の前の現実を生きていける力をつける大切な仏道修行です。法要のたびに一つ区切りとして、御供養修行してください。
質問者からのお礼
邦元様
お忙しい中、早速のお返事ありがとうございます。
後悔する必要はないとの回答を見て少し救われた気持ちになりました。完全に払拭出来るまでにはまだ時間がかかりそうですが、心の中で父を感じながら供養する事で前向きに生きていこうと思います。