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楽になりたい

回答数回答 3
有り難し有り難し 93

独身で派遣をしています。
昔からこの世は辛いと思っていて、子供を産みたくなかったのもあって結婚できませんでした。
自分では子供を持たなかったのは本当によかったと思っています。こんな人に子育ては難しいので。
毎日体も疲れるし苦しいので早く死にたいのですが、母親がまだ存命のため仕方なく生きています。
生きるのが実に苦しいため、母が早く死んでくれないかと願う時があります。

もし結婚して子供がいて専業主婦でもやはり私は苦しんでいると思います。今まで恋人がいても、何をしていても苦しくなかった時がありません。
手っ取り早く楽になれる方法はないでしょうか。
あと40年以上、これが続くと思うとぞっとします。
忍耐、忍耐、忍耐。本当に疲れました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずは深呼吸してみる。

こんにちわ。拝見いたしました。

疲れましたと言いながらでも古都様は母親の事を考えておられます。それは一生懸命、現実から逃げないでおこうとする古都さんの優しさと勇気の賜であると思います。今までつらい中頑張ってこられたのですね。それは胸を張って良いこと尊敬いたします。

また、昔からこの世が辛いと思っておられたとのこと。仏教的に考えますとその考えは間違いではなく正しい見方です。私たちは「心の眼」が汚れているために世界を「あるがまま」ではなく「あって欲しいまま」に見続けています。「問題とは、事実そのものに原因があるのではなく、それをどう自分が解釈しているのかということに原因がある」という言葉があります。古都様がお悩み、生きることが苦しいと考えるのは「思うようにならないこと」「こうすべき」「こうでなければならない」という心のルールが自分自身を縛ってしまっているのではないでしょうか。

本当は苦しみの原因、「どうすれば・・」と考えるよりも「どうしたいのか」「どういう自分でありたいのか」「何も障害がなければ自分は何をしたいのか」という自分自身の心の声を聴いていく作業が必要ですが、そこまでの余裕もないとおっしゃるかもしれません。ですので、頭の中の思考に支配された状態を抜けるために身体を動かすことをおすすめいたします。近所を少し歩くということでもかまいません。おおきなスパなどにいってサウナなどで汗を流すというのでも良いと思います。身体に注意すること。そして少し余裕がでてくれば食べ物を食べた時の味の感覚に注意してみる。歩いた時に桜を見てどう感じたのか。風を感じてみるなど「こうしなければ」という考えではなく、自分が感じていることを感じてみることが楽になる道であると思います。一歩一歩でしかないとは思いますが実践されてみることをおすすめいたします。

古都様の心に平安が訪れますように。合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

娑婆世界、耐え忍ぶ世界

この世のことを娑婆といいますが、その意味は「耐え忍ぶ」ということ。
なるほど、そういう意味では古都さんは娑婆を生きてますね。

苦しいなら死ねばいいよというお坊さんは残念ながら一人もいません。
でも、なんとか仏さまの知恵のひとつでも提供できて、その苦しみを少しでも楽になればとは思うのですよ。
そもそも仏教はそのための教えです。
「一切皆苦」で生きておられる古都さんこそ、仏教者に向いていると思いますよ。

何歳まで生きるか、私も、貴女も、お母さんもわかりません。
今からでも楽になるための仏教の教えを追求してみませんか。
私もその途中なので、これといったアドバイスは何もできずですいません。

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

忍耐のみの人生は辛い

気持ちはよくわかります。
早く楽になりたいのでしょうが、それさえも思うようにはならないのが人生です。
死にたいのに死ねないということは、生きるしか道はないということです。悲しいかな自ら死ぬことを生命的にも運命的にも人間は許されてはいないのです。
私も含めみな首の皮一枚でぎりぎりのところで生きています。だから本当はあなたに偉そうなことは言えないのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

常在さま
日顕さま

ご回答ありがとうございます。
仏教は少し齧っており、偶然無我になれた経験があります。楽になれたのはその時くらいです。

仏教を修行していれば今世では難しくても、来世かその次かまぁいつの日にか悟るだろうとか、そんな不確実な話しかない気がしますがどうでしょうか。今すぐどうにかしてくれ!と思ってしまいます。

本当に首の皮一枚でつながっています。
ありがとうございました…

健樹さま

遅くなりましたが、ありがとうございます。
制約がなければ本当にしたいのは消滅することです。たとえば、こういう風に文章を書くのも心が動くせいか苦しいです。何か考えているだけで苦しく、下手に宗教を齧ったのが悪かったと思い少し後悔しています。男性ならばともかく女性としても異常ですし、多くを学び体験しましたが、誰にも理解されません。

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