好きだった作家の、残酷な文章がトラウマに
初めまして。埋もれ木です。
私が過去長年愛読していた、また私のリスペクトする某現役作家も敬愛している、今はもう故人の女性作家・Tが、
糟糠の妻をいじめ、捨て、富豪の新しい妻と結婚し幸せになった某人物を、不当に持ち上げて褒め称え、
一方でその被害者である元妻について、元妻の優れた性格が原因で不幸になったという、
二次加害同然のことを書いていた事を知り、愕然として深い衝撃を受けました。
フェミニズムや、女性関連の社会問題にも通じて詳しかったTが、上記の事を書いていたので、
これじゃ、”強きを助け、弱きを挫く”じゃないかと、尚更重く落胆し、絶望しました。
ネット上(特に女性が多く集まるところ)では、Tと彼女の作品は多くの人に愛され、
それらの情報の中で、私の気付いた事に誰も言及した様子が無く、
”ネットって案外、薄っぺらなところがあるな”と思ったし、落胆もしました。
私は何を信じていいか判らなくなって、違法薬物に手を出しそうにまでなりました。
世の中への信頼も無くなり、私は、もうこの世から消えたい、それか社会の敗残者になって、世間の裏側で生きる道をたどるんだな、と思いました。
Tは自分に沢山の影響を与えた作家なので、中々忘れられず辛いけれど、
新しい時代に生きている自分の中では、その作家はもうボロ雑巾かスクラップ同然ですので、
自分の中で切り捨ててしまいたいです。
私の事を、弱い奴だと笑って頂いても構いません。立ち直る方法を教えて頂けましたら、幸甚に存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの選択次第です
こんにちは。
私は、あなたを「弱い奴だと笑」うつもりは全くありません。むしろ、「フェミニズムや、女性関連の社会問題」をめぐる言論空間を大切してきた真っ直ぐな人だと思います。
件の「リスペクトする某現役作家」、「女性作家・T」の言説、昨今の書き物の妥当性は私には分かりません。ただ、あなたも「沢山の影響を与え」られた一人でしょうし、これまで「リスペクト」してきた内容に今でも普遍性のある言葉として胸に残ることもあるでしょうから、それはそれで大切にされても良いと思います。いかがでしょうか。
あなたが敬愛する作家や、「薄っぺら」じゃないと思っていた「ネット」空間に結果的に失望し、「何を信じていいか判らなく」なり、「世の中への信頼も無く」なったという気持ちは察します。
しかし、仏教という視点から言えば、その「作家」も「ネット」も煩悩の人間、あるいはその集積に過ぎません。その意味で言えば「二次加害同然のことを書いていた」ことは、「深い衝撃」というよりむしろ予想された言動とも言えると思います。どんな知識人であろうとも、自分中心という抜き難い性がある、それが人間というものですから。
このハスノハで、人生に絶望したという相談は多いです。ただ、実際生きる道が他にないなら、仏教をその生きる拠り所にしませんか、とお勧めしますが、そのとおり歩まれる方は多くない印象です。
ただ、敢えて私はあなたに勧めたいです。煩悩の人間の誰かを唯一の拠り所とするのではなく、煩悩から解き放たれたお方、仏様を拠り所にしませんか、と。
人生に絶望し続けたり、「違法薬物に手を出」すなどより、よほど賢明な「立ち直る方法」だと思います。あとは、あなたの選択次第です。
悲劇も知識
私はその作品を読んだわけではありませんが、作家さんが悲劇を描くことで社会問題を批判することはあり得ると思います。
世の中には実際、その元妻のように本人のせいではなく辛い境遇に陥ってしまう人がいるでしょう。
悲劇を読むことが、悲惨な状況にいる人々のことを想像してみるきっかけになると思います。
「世の中にはそのように苦しんでいる人々がいる」と知識として知ることは、悪いことではないと思います。
質問者からのお礼
釋 悠水様
ご回答有難うございます。
ご丁寧なお言葉を頂き、非常に嬉しく思います。
「真っ直ぐな人だと思います」とおっしゃって頂けて、非常に恐縮いたします。
>これまで「リスペクト」してきた内容に今でも普遍性のある言葉として胸に残ることもあるでしょうから、それはそれで大切にされても良いと思います。いかがでしょうか。
すみません、そう考えられるまでには、長い時間がかかりそうです。
私に寄り添って下さり、有難うございます。
>しかし、仏教という視点から言えば、その「作家」も「ネット」も煩悩の人間、あるいはその集積に過ぎません。
>どんな知識人であろうとも、自分中心という抜き難い性がある、それが人間というものですから。
何だか、納得させられてしまいました。だから、あまり期待し過ぎるのは間違い、という事ですね。
仏教を拠り所にするの、考えてみたいです。アドバイスを頂き、有難うございます。
願誉浄史様
ご回答有難うございます。
>世の中には実際、その元妻のように本人のせいではなく辛い境遇に陥ってしまう人がいるでしょう。
そういう方々のお話を聞くと、酷い目に合わせた連中、またそれらの加害者の味方をしたがる連中に、憤りが湧きます。
>悲劇を読むことが、悲惨な状況にいる人々のことを想像してみるきっかけになると思います。
悲劇を読むと、もう茫然自失になり、自分ならどうするか、何が出来るかを考えられるまでに、時間がかかります…
>「世の中にはそのように苦しんでいる人々がいる」と知識として知ることは、悪いことではないと思います。
その事を知らなかったら、すごく無恥で野蛮な人間になりそうで、怖いです。
もう遅いし手遅れだけれど、私が相談内容でお書きした某人物の元奥様・お嬢様に対し、
遠くから、”私はあなたたちの負わされた苦労、苦しみを、全部ではなくて申し訳ないけれど、存じ上げております”
と、口には出しませんが、申し上げたい思いでおります。