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呪いをしてしまった

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有り難し有り難し 49

小学の時いじめられていて、友人に死ぬ呪いをしてしまいました。本当に亡くなってしまいました。この件では、3ヶ月反省しました。神様、先祖、お寺でも謝りました。でも、罪悪感は消えません。僕は地獄にいくのでしょうか。今を幸せに生きていいのでしょうか?分かりません。天国に行けるでしょうか?もうやらないと自分の中で誓いました。どうしたら、許してもらって天国にいけますか?そして、この呪いをしてしまった事は忘れていんでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

呪いたくなる気持ちがあったということは必然

さぞかし相手に嫌なことをされてしまったのでしょう。
何もなければ人を呪いたいなんて思わないのではないでしょうか。
何もなかったらその人にそんな気持ちなんて持たなかったでしょう。
相手を許せなくなるような気持ちが生まれてしまった原因があったはず。
おもいだしてみてください。
きっとお互いの関係の中で何かがあったのでしょう。
ですが、その相手があなたの呪いで死んでしまったなんてことは誰も立証も証明もできません。因果関係も認められません。世間で嫌われている皆を困らせているようなエゴ丸出しの人が何らかの病気や事故で亡くなれば、それもたまた。みんなから呪われて死んだということではありません。
そのデスノートの力、下さい。ですが、私は要りませんのでその力を呪いではなく上手に使ってあなたやあなたと関わる人たちを良い方向に導く大きな力にしてください。
ドラえもんやワンピースやアナ雪や鬼滅の刃やRPGの道具、魔法のようにその力を良いことに使えるよう転がしてみましょう。
❶まずはみんなから遊ぶ機会や楽しい遠足や修学旅行、一緒にご飯を食べる場や青春を奪ってしまった「コロナウィルス」を無くそうと呪ってみてください。💀
ウィルス一つですら消すことはできない。だったら、あなたの呪いよりもアルコールの方が強力です。(笑)
❷呪いの力は呪いにしなければものすごく良い働きを生み出せます。
「才能の無駄遣い」という言葉があるように、人間の欲も怒りも悩みや呪いもそれをそのままにしない。エネルギーに変えて毒を力や良い力にすることが人間に与えられた仏さまからの使命・宿題です。課題をサボって遊んでばかりいる人ちは残念ながら、世間でとりのこされてしまうのです。時間も上手に使わなければ自分をダメにして御ニー徒サマになってしまう。火も上手に使えば調理や暖房になる。上手な使い方があることをまなぶ。
❸あなたを追い詰め怨念の心を生み出す原因となった人間世界の悪意や自分の心を「なんとか良いことにしよう」と思えば、怒りや恨みのエネルギーも良い力に転ずることができます。そうすると方法が変わってくる。
怒りや恨みのエネルギーが毒の刺激で薬になるように世間をより良いものに変える公憤のエネルギーとなります。偉人たちはみなあなたのようにその自分の力を上手に用い得て立派な生き方へと転じ、活路を見出しました。毒も薬に。悲しみも慈悲に。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

呪う心の原因は、貪瞋痴の瞋(じん)だと思います

 いじめを受けて、辛かったですね。加害者を怨んだり呪いたくなる。そういう気持ちを抱くのも止むを得ないかもしれません。小説やコミックや映画の世界なら、超能力の持ち主が加害者を怨み呪い殺すというストーリーは珍しくありません。現実に、相手を呪い殺す超能力の持ち主は居ないと思います。ひろやさんは加害者を呪い殺す超能力の持ち主では無いでしょうし、加害者を呪ったことと加害者の死の因果関係は無いと思います。あなたが相手に直接の危害を加えたわけでないのなら、直ちに罰が下ることは無いでしょう。
 
 人は恨み呪うことは良くない。そのこととを痛切に感じていると思います。既に反省しているとは思いますが、神仏に反省の気持ちを表す。それを懺悔(さんげ)と言います。過去の回答のURLを貼っておきますので、参考にしてください。
https://hasunoha.jp/questions/594

 仏教では、人間の煩悩を分類するため、「貪瞋痴(とんじんち)の三毒」という言い方があります。タイトルに書きましたように、貪瞋痴の瞋が原因だと思います。瞋とは「怒りの炎が燃え盛ること」を言います。残念ながら、どんな人間も「怒りの炎」を自分自身に中に抱えています。恨みや呪いを表面化させると、直接相手を殺さないにしても、いろんな影響が出ます。自分自身の心も行動も不安定になてしまいます。怒りを爆発させないで、怒りを上手にコントロールしていくのが修行なのです。以前、ブログに「三毒を乗り越えるために」という記事を書いたことがあります。参考にしてください。
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510254557.html

 今までも、神仏に反省の祈りを捧げてきたようですが、これからは懺悔文(さんげもん)を唱え、自分の怒りをきちんとコントロールすることを神仏に誓ってください。

 子供の世界でも大人の世界でも、現実にイジメは存在します。一人で抱え込まず、信頼できる人に相談することです。電話相談なら、こどもの人権110番0120-007-110があります。
警察にも相談の窓口があります。
https://xn--110npa-db5o.go.jp/bureau/safetylife/syonen/soudan.
各地方の法務局や弁護士会にも人権相談の窓口があります。

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

質問者からのお礼

お2人のおかげで、心が豊かになった感じがします。これこらは、自分をコントロールできるようにします。お忙しい中ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ