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過去の悪いことや受けた恩について

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寝る前に多いのですが誰々に酷いこと言ったなとか悪いことしたなと過去のことを思いかえし反省することがあります。

そんな時は手を合わせて心のなで「申し訳ありません」と謝るのですが、仏教では過去の過ちに対して個人として、どう対処するべきかの教えはありますでしょうか?

また過去、お世話になった方々には手を合わせて「ありがとうございました」と心の中で感謝を申し上げているのですが、自分が受けた恩については忘れず感謝の気持ちを持ち続けようと思っているのですが、仏教では受けた恩についての考えや教えはありますでしょうか?

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日々自らの行いを振り返ること -懺悔(さんげ)-

 曹洞宗の吉田俊英と申します。千字という限定の中では一般的な説明になりますが、私は下記のように理解しております。

仏教では、私たち人間の心にある「貪りの心」「瞋りの心」「愚かさ(痴)」のことを、貪瞋痴の三毒と言っております。三毒(貪瞋痴)とは、実に恐ろしいものです。貴重な願い事をささいなことで使い果たし、私たちの人生を狂わせてしまう力を持っているのです。
では三毒から逃れる方法はあるでしょうか?残念ながら、ありません。三毒は生まれながらにして私たちの身についているものです。いまさら消し去ることは出来ません。私たちに出来ることは、私達が生まれながらにして三毒を自分の中に持っていると自覚すること。そして、三毒の恐ろしさを認識することです。
 三毒を無くすことは出来ない。でも、三毒に包まれていることに「気づく」ことは、出来ます。三毒の恐ろしさに「気づく」ことは、出来ます。「気づく」ところに、私たち人間の限り無い可能性があると思います。常に自分という人間の「弱さ」「危うさ」を自覚し、三毒の爆発を押さえて行くしかないのです。
  
そのための行として、懺悔(さんげ)があります。自分の中に三毒があることを自覚し、今までの自分がしてきた行為行動を振返り、自分自身の過ちや悪業を仏様に向かって反省し、改めることを誓うのです。自らの心の中の仏様に語り掛けていくことだと思います。どうぞ、毎日のお仏壇でのお参り、菩提寺の本尊様へのお参りの際には、日頃の自分自身の言動を振り返り、反省と誓いの言葉(懺悔文)を本尊様にお唱え下さい。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

(意訳)
私が今まで造ってきた悪業は、皆いつからあるかわからないけれども 貪瞋痴の三毒と身口意の三業より起こしたものである。今自分の犯してきた過ちに気づき反省し、その一切を改めることを誓います。

 恩とは、今在る現状がどういう方々の行為などによって支えられているか深く考えることを言います。そして、受けた恩に感謝する行為のことを、仏教では報恩と言います。
曹洞宗では「行持報恩」という言葉をよく使います。日々仏道修行を続けていく事ががそのまま仏祖への報恩であるという意味です。

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「報恩功徳」

コン様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の過ちに関しましては、仏教では「慚愧」ということを大切に致します。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

最近では下記の問いにて扱わせて頂きましたので少しくご参照くださいませ。

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすること。

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すこと。

とにかく、「慚愧」により二度と同じような過ちをしないことが大切となります。

次に、「恩」に関することですが、仏教ではよく「四恩」を大切にしなさいと申します。

但し、その四つについては一定ではなく、父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝の恩、その他では、仏・如来の恩や師・先生の恩、施主の恩も言われることがあります。

「恩」を想うということは、誠に様々な「縁」によりて成り立っている自分のありよう、生かされて生きることができている自分のあり様を深く鑑みる時、その有り難さに感謝することであり、そして、「報恩功徳」として、その恩に報いる行いが求められ、その行いとしては、主に善徳行として、または慈悲・利他行として調えていくことが大切なこととなります。

(「善行」と言ってしまうと抽象的ですが、一つは他に迷惑を掛けない、自分のされて嫌なことはしないという善い行い(代表的な十善)と、もう一つが苦しみ困っている者がいれば積極的に助けていく、施していくという善い行い(慈悲・利他行)となります。)

是非、共に報恩功徳に努めて参りましょう。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

遅れて申し訳ありません吉田様回答ありがとうございました。

川口様 回答ありがとうございます。

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もしもの話ばかり考えてしまって絶望する

はじめまして。タイトル通りです。 私はこれまでいろんな失敗をしてきました。さらに最悪なことに、失敗すればミスを誤魔化そうとしたり、言い訳をしてしまったり。 それでもなんとかここまで人の道から外れるような大きな過ちはしないで生きてきました。 しかし過去を振り返ってみると、いつも道を踏み外さない『ギリギリ』を歩んできたなあと思います。本当に今の自分があるのは、運と環境のお陰です。 たまたま周りに相談できる人がいたから、たまたま予備や保険があったから、たまたま大事にならなかったから。 これから先、未来のことは、「常に誠実でいよう」「失敗をしても正直に告白しよう」と、前向きに考えられます。 けれども、「もしもあのとき相談できる人がいなかったら?」「もしもあのとき代わりが見つからなかったら?」「もしもあのとき大事になっていたら?」と、ふと『もしも』の話が頭によぎってしまうのです。 「もしも明日地球が爆発したら?」という馬鹿げた話ならば一蹴できるのですが… これから起こるかもしれないことではなく、既に終わってしまったことの「もしも」を考えたところで、現実は変わらないことはわかっています。 「危ない橋を渡ったけど結果オーライ!次から気を付けよ!」くらいに現実を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。

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