過去の過ちへの罪悪感
はじめまして、よろしくお願いいたします。
私はこの春大学を卒業する22歳の女です。
恥ずかしながら、今まで自己中心的な生き方をしてきました。
本当は自分に自信がないのに、自分は強く在らねばとプライドだけ一級品で、他人の視線を気にしないことは他人を攻撃してもいいことだと勘違いし、無神経な言葉を投げかけることもありました。
小中高とリーダーを務めることが多く、常に周りに気を使っていましたが、大学に入学してからは自分で人間関係を構築できる自由さに開放感を覚え、他人への気遣いのレベルを意識的に下げてしまうようになりました。
そのせいで自分が気に入らないという理由で、あたかも彼女に原因があるような言い訳をして過去の友人を仲のいいグループから仲間はずれにしたことがあります。さらに大学で1番仲が良かった友人が持病が悪化し、どんどんヒステリックになっていくのに耐えきれず彼女からたくさんの恩があるにも関わらずに、私が彼女が原因のストレスによる精神疾患手前であることを理由に半ば裏切るような形で絶縁を切り出してしまいました。
前者の友人にはSNSを通じて謝罪をし(既読はついていないようなので私の一方的な行動で終わっている)、後者の友人とはお互いの話し合いの末SNSを含む全ての関係を断ち切る形で終結しています。
毎日、過去に私が傷つけた方々への罪悪感で押しつぶされながら過ごしています。もうひたすら後悔と懺悔の日々を過ごし、そろそろ前を向かねばと思っていますがふとした瞬間にフラッシュバックし落ち込んでいます。
私はこの先どのように毎日をすごしていけばいいのでしょうか。
毎日すべきことがあれば教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
似た境遇の人に伝える
コミュニケーションというのは難しいですよね。
しかも、教えてくれる人はほとんどいません。
そして、多くの人が感覚的に交流し、自分の何が良くて何が悪いのかもわからないまま大人になっていきます。
だからこそ、あなたの経験は貴重なのです。
自分は罪を背負おうとしたわけではなく、“気遣いが足りない”というそれだけのために、相手には心の傷、あなたの精神には罪悪感という後遺症が残ったわけです。
まるで不注意によって起きた交通事故のようなものです。
あなたが出来ることは、この不注意、不寛容の怖さを発信することでしょう。
コミュニケーションの技術を分析し、良いものと悪いものを区別し、周りの人に伝えるのです。
後悔の辛さ、謝れない・謝っても相手にされないもどかしさ、取り返せない時間。
そして、あなたのような事件が一つでもなくなったと思えれば、あなたはきっと自分のいままでの、そしてこれからの行いに価値を見出すことができるでしょう。
コンパッションを学んでみよう
犬子 様 相談ありがとうございます。
あなたに学んでほしいと私が思うのは、コンパッションです。
仏教でいう、慈悲のことですが、具体的には、
「自分と他人の悩み苦しみ辛さに気づき」
「その悩み苦しみに対処しようと行動すること」
の2点です。
つまり、気づき、行動することです。
これには、修習が必要です。
詳しくは、コンパション・フォーカスト・セラピーで検索すれば
本とかセミナーとか色々出てきますが、まずは、
「自分と他人(あなた、好きな人、親しい人、など)が、幸せになりますように。
自分と他人が苦しみから解放されますように。
自分と他人が喜びに溢れますように。
自分と他人が平和でいられますように。」
と祈りを捧げてみてください。
毎日5分、ゆったりとした深呼吸とともにに祈りを捧げてみてください。
そして、もう一つ、感謝のワークです。
一日5つ、「ありがとう」と思えるものを箇条書きでいいので、メモ用紙かノートに書いていきましょう。
例えば、
朝いつも通りにおきれてありがとう。
太陽にありがとう。
朝食のご飯がおいしければ、それにありがとう。
笑顔にありがとう。
などです。
この感謝のワークを毎日続けてみてください。
当たり前のもので構いませんが、なるべく同じものはさけて感謝できるものを探してみてくください。
きっと、心持に変化がおとずれますよ。
誰の心の中にも、慈悲の精神(思いやり・優しさ・温かさ)は、あるのです。
きっと大丈夫です。
もし、フラッシュバックやトラウマで苦しいのが続くようでしたら、どうぞ遠慮なくご相談ください。一礼
質問者からのお礼
本当にありがとうございました。
毎日を感謝の気持ちで過ごします。