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音楽に対する感受性の喪失について

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有り難し有り難し 14

私は学生時代から10年以上音楽を作ってきました。
最近スランプになり原因を探したところ、音楽に聴き入ることをしていないことに気づいたため、音楽をしっかり聴こうとするのですが、どんな音楽を聴いても何も感じない自分の存在に気が付きました。

なぜそうなってしまったか自分なりに考えたところ、常日頃からいい音楽を作りたいと思い続けて、執着が強くなり、またそれが叶わないことが多く、音楽に対して疲弊してしまっていることがあると感じました。そして作り手の視点から音楽を聴くようになり、純粋に音楽を聴くことができなくなっているのではとも考えています。

以前のように音楽を聴いて感動できればいいなと思いますが、いくら休んでも、新しい音楽を探しても、まるで音楽を聴くことができません。
純粋に音楽を聴くために、どのように考えればいいでしょうか。何かヒントを頂ければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

押してダメなら…

ご相談ありがとうございます。
私も音楽を作る(DAWを使います)側の人間なので、お気持ちがわかるのではないかと思い、回答させていただくことにしました。

音楽を聴きたくて聴いているのではなくて、作るという目的のための「手段」として聴いている…もはや作業になってしまっているから感情が乗らない、気持ちが入らないし入っても来ないのだと思います。
作りたい音楽を作れない「焦り」が、あなたの中にある微細なセンサーに対して常に妨害電波を発しているかのような状態なのでしょうね。

今後、悶々とした時間を越えて、ある日突然霧が晴れて目の前が広がることもあるでしょう。
ただ、その時までこのまま我慢するのか、それとも別の方向へ進むのか。

こう言っては何ですが、限られた時間を有意義に使う(焦りの要因のひとつではないかと思いました)ためには、今は一旦の切り替えをする必要があると考えます。
「芸術は右脳」と言われますが、そこが上手く動かない原因は逆に左脳にあるとも聞きます。
健全な精神は健全な肉体に宿る…煮詰まったら散歩に出る人もいますよね。運動中に閃く瞬間があるだとか、これは私も経験があります。
何事もバランスが大事ということでしょうか。人体は実に不思議ですよね。

喪失したのなら、取り戻せば良い。
ですが、力技で乗り切ろうとしてばかりでは、疲れてしまいます。
ここはひとつ別の分野の活動へ身を投じてみて、段々と思いが変わっていく様を確かめてみてはいかがでしょうか。
その結果、想定外の方向へ進み、いずれ元に還ったときに、今の何倍もの力を付けている自分に出会えるかもしれません。

音を楽しむ、それが音楽ですものね。
いつかまた、聴くことも作ることも理屈抜きで楽しめる日が訪れますように。

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有り難し
おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくても良いようなものまでも、率先して背負い込んでる。 で、結局悩んでる。自らの意志で背負い込んだのにね。 そこのあなた、身に覚えありでしょう? ほら、そうやって決めつけちゃうの、やめませんか? 立ち止まるのが早すぎやしませんか? 40代半ば愚僧の超個人的なボヤキだと思ってくだされば幸いです。 私の回答が誰かの人生の潤滑油になればうれしいな。 常にいろいろ勉強中!死ぬまで修行中!ここhasunohaも道場のひとつです! お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

脱あざとさ 脱オレオレ 脱先走り

会話・対話や、教授・提供というものは故ランディ・ローズが教え子にギターを教えるという行為によって「教えることによって教わっている」と言ったように主客、主従、師弟がない。オレのものという意識がどこかにあるからエロい。あざとい。エゴい。
釈尊の教えは供養です。生きている人への供養になっている。生きている人が生かされなければいけない。音楽というものも同じ。利他にならなければ。自利にもならなければ❝一方❞であり❝一法(自他を利する)❞ではない。
私の尊敬する井上貫道老師も「師匠とは友達になりなさい」という方でした。同じものを同じく共有・分かち合うのが美味、美術、美音といふもの。
伝とは伝えるものではなく、元々本人にあるものを引き出す❝覚❞の共鳴なのです。
ピカソの絵がわからんので死に尋ねたら「絵の中に入ってみろ」と。
ニール・ヤングはライブで自分と観客が一緒になることが自分の音楽であると。
音楽の中に入っていってしまっているのですね。
ビートルズのA DAY IN THE LIFEのLIVE映像などはポール・マッカトニーが隣にいるのに本人以上に本人のものにしてしまっている。STINGやJEFF BECKよりも「入っている」。反対に私もバンドのサポーターで入って「やりたくねぇな~」という曲を選曲されると「入らない」。乗らない。乗るとは法(のり)。自分がない。自分が無いから乗(ノ)れる。法(アリヨウ)に住せる。妙法ROLLINGに住(LIVE)する。大般若法会の導師の心得は自分が一歩👣歩むたびにそこに蓮華が開かれるように念ぜよと。自分が人天、三界の大導師になるのである、と。
真のミュージシャンはギター(楽器)と声とだけで観客を飲み込んでしまう。
その呑客力、同調力、先導力。
師匠、先日ヤフオクでEVHのアンプ50Wを手に入れました。
先日EVHのアンプを買いました。歪みはマーシャルよりはいいのですが、リバーブはマーシャルの方がいいのですね。かといって外部エフェクターだと原音を喰ってしまう。良寛さんの字は我が無いからこそ❝良い❞のだ、と。一方でオレの字を見ろッ!と言わんばかりのパフォーマンス書家はあざとい。
つまり、優先している事、先んじている心理エフェクターがONのままだからです。入れない、聴けないのはそこに先んずる心理の作用があるから。
聴けるようになる方法…あります。💀

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

一旦諦めて、別のことをしたり、何もしなかったりをしてみようと思います。
いつか開けていく時を諦めず、柔軟に進めていきます。

丹下 覚元 様
ご回答いただきありがとうございます。
以前は音楽と一体となれましたが、最近はかないません。どのようにすればエゴを捨て、音楽を聴けるか、考えて実践してみます。

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