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大好きな母を亡くしました

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1週間程前に最愛の母を亡くしました。68歳でした。若すぎる死でした。
私と母はとても仲が良く、2人の子供の育児もよく手助けしてくれたり、仕事のことや夫のことなど愚痴も聞いてくれる母でしたので私にとって一番の味方でした。
そんな母が昨年の夏、コロナからの発熱で自宅で倒れ、重度の脱水と熱中症ですぐに命の危険にさらされてしまいそのまま意識不明となりました。その後、半年間ほど入院し、亡くなりました。その間は意識は戻りませんでした。
これまで毎日のように連絡を取っていたので、メッセージの既読がつかないことに違和感を覚えて駆けつけ、倒れている母を見つけることができました。でももっと早くに気づいてあげたかったとも思います。きっと母はコロナ禍で心配させまいと発熱のことを私に言わなかったのだと思います。でもこんなことになるなら、すぐに教えて欲しかったと思います。
まさか本人も、そのまま自分が死ぬなんて思っていなかったでしょう‥。それがなんとも無念です。初めは信じられず、現実も受け入れ難く、なんでなんでと全てがどうでもよくなるほどに落ち込みました。今も苦しいです。
でも母の葬儀を経て、母に対してこれまでも感謝を伝えられたこと、孫たちの顔を見せられたこと、沢山の時間を共有できたことは後悔はないと振り返っている自分もいます。
もう事実は変えられない、もっともっと一緒にいたかったけれど、母に貰った命をこれからも大切に、子供と歩んでいかなければと思っております。ただふと、どうしようもなく寂しい気持ちが頭をもたげます。
人の死というものは、こんなにも突然訪れるのですね。よく空から見ててくれる、いつでも見守ってくれていると言いますが、本当なのですか。いつか私が死んだら、母に会えますか。
母が大好きです。本当に、もっと一緒にいたかったです。近年コロナで全然出かけられなかったのがとても残念です。年末年始も一緒に過ごしておけばと後悔しています。タラレバになってしまいますが‥。
今はとにかく毎日子供たちと朝も夜もお線香をあげて母に話しかけています。

2022年3月1日 14:55

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

きっと傍にいて、笑顔で見守っていると思います。

たむこ 様

この度のお母様のこと、ご愁傷さまでございます。お悔やみ申し上げますともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝

お母様とは、これまでは同じように笑ったり泣いたりしてきたと思いますが、これからは、仏様の世界からこちらを見守る立場になられるのだと思います。
ずっと見守ってくださいますし、いつかあなたもお母様に会う時が来るでしょう。
そして、仏様の世界は遠いところではなく、すぐ近くです。直接目には見えなくてもすぐ近くです。心でつながっている世界です。きっと傍にいてあなたもお孫様も見守っていると思います。私はそう信じています。
とはいえ、お別れの心の喪の作業は、揺れ動きます。悲しみ、落ち込み、受け入れられず怒り、抑うつ、あきらめなど、心は行ったり来たりします。期間もひとそれぞれです。
でも、そんな自分がいていいんだと思いましょう。お母様との日々を振り返りながら、声をあげて泣いてもいい、思い出し笑いをしてもいい、いろんな感情を思い出して自分の立場とお母様の立場と両方の気持ちになってみて泣ききることも大切です。やがて悲しみは底をうち、お母様の愛情にずっと包まれているような感じになり、落ち着く日々がおとずれるでしょう。
私はそう思います。

もし長引くようで、辛い感情が治まらない時は、グリーフケアのお手伝いさせていただきます。合掌礼

追申:お礼メッセージありがとうございました。そうですね何度でもご相談ください。グリーフの期間はひとそれぞれ、感情も百人百様です。季節感が無かったり、引きこもりたくなったりします。でもそれでいいのです。自分を責めないようにして、日々できること、出来たことにOKを出していけば、だんだんといつもの日常を取り戻したようになっていきますので、安心して過ごしてください。
この度のご縁に感謝申し上げます。再礼

2022年3月1日 15:45
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

心の込もったご回答、誠にありがとうございます。涙しながら何度も拝読させて頂いております。「心で繋がっている世界」というお言葉に大変救われます。母がすぐ近くにいていつも見守ってくれていると信じ、子供たちと笑って過ごす時間を増やしていけたら母も安心してくれるような気がします。自分のせいで家族が悲しんでいたら、母も悲しみますよね。本当に受け入れ難く苦しい現実ですが、ゆっくりゆっくり歩んでいきます。母といつか逢える日まで、母が心配しないように元気を取り戻していけるよう努めて参ります。おっしゃる通り心は揺れ動きますが、家族や友人に支えて貰っているので何とか踏ん張って生きています。
またご相談させて頂くかもしれませんがその際はまたご縁がありますように。
本当にありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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