得意な何かを持っている他人と何もない自分
私は今「何もない」ことに悩んでいます。
厳密に言うと、得意なことも、これといって長所といえるものも何一つないのではないかと不安になります。
唯一、お絵描きはちょっとだけ得意かもしれないと思っています。
しかし、周りの友人たちは全国で賞を取ったり
SNSで多くの人に評価されたり、自分よりずっとお絵描きが得意だといえる結果をどんどん出しています。
そんな友人たちを見る度に、自分の得意なことは所詮自己満足にし受け取られないんだと惨めになります。
一応、私も小さな賞を過去にいくつかもらったとはありますが、所詮は過去のことで、絵を描かない自分には何にもないと思います。
他人と自分は違う人間で、比べたところで意味がないことは理解しています。
ですが、今何もなければ、自分に価値はない。生きたって意味がないと思ってしまいます。
何もないと感じている自分をどう肯定すればいいでしょうか。
努力していない自分に返ってきた罰だと考えて
成功体験を残せるまで頑張ればいいのでしょうか。
お答えいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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持っているものを数える
なるほど、自分が得意だと思っていることにも、上には上がいて、それ以外は自信が持てない。
これは難儀なことですね。
私も、人前に立ってお話しするのが好きですが、残念ながら日本一上手いわけではなし、もし死に物狂いで頑張って日本一になってもまだ世界一ではありません。
でもこれって価値はないのでしょうか?
私は私のお話を必要としてくれる人のために話します。
見たいものを見に行くための足があり、手振りを示すための手があり、原稿をひねり出すための頭があり、言葉を紡ぐための口があります。
自分に足りないものを数えればきりがありません。
でも、持っているものを数えれば、自分もそんなに捨てたもんじゃないんだなと気づきます。
人のことなどどうでもいいのです。
絵を描くのが好きなら、好きに描けばいいのです。
人の評価を気にするから、人と比べなければならず、
人と比べれば、その序列は遥か天高くまで無限に続いて、自分が小さく見えるでしょう。
もちろん、好きにやるのにいろいろな雑事をこなさなければならないでしょう。
でも、比べて卑屈になるより問題は少ないです。
価値など、人に決めてもらうものではありません。
自分の体と心は、自分がやりたいことをやるためにあるのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
他人と比べても上には上がいる、仰る通りです。他人に自分の評価を委ねても苦しむだけですよね。自分が満足できない状況にあるなら頑張るしかないのだということが分かりました。これからは、他人と比較して落ち込んだ時は、自分がダメだと責めるのではなく、どうすればもっと良くなるのかを考える癖をつけたいと思います。