妻が私に無関心です。
結婚1年目の夫です。
1月に挙式も終え、4月には第一子を授かります。
まだ同居しておらず、出産後に同居する予定です。
最近になり、妻とのやりとりが激減し、私に対し敬語を使うようになりました。
理由を尋ねると、私に対して「無」ということでした。
恐らく、関心が無くなったということだと思います。
ちょっとずつが溜まった結果のようで、話をしようと試みても避けられてしまいます。
話し合いができないので、自分なりの考えをまとめてみました。
冷たくなり始めたのは、2月に入って、本格的に出産に向けての準備が始まった段階です。
また、出産後の新居も探さなければならず、かなり忙しくなりました。
金銭面でも、妻が退職することになるので出産後は厳しい生活が予想され、特に金銭面に関しては前向きな話ができていませんでした。
子供の準備等もできておらず、段取りが全く取れていませんでした。
その頃から敬語を使われるようになりました。
恐らくですが、妻から見ると私は積極的に何もせず、自分だけで準備させられているように感じていたのではないかなと思います。
確かに、私から準備についての話をするのが遅く、話した時には妻の母親と2人で買いに行く段取りを立てたと言われました。
負担をかけてしまったなと強く感じています。
もちろん、何もしていなかったわけではなく、不動産を巡り、子供用品を調べて準備の際に円滑にできるようにしていましたが、伝えきれていたわけではないのでそう思われて当然だとも思います。
そんな中、最初に述べたような話があり、私に対して「無」だと言われました。
一瞬の怒り、それを感じないほどの絶望と悲しみと不安と様々な感情が芽生えました。
直後、出た答えが死を選ぶことでした。
現在も死が1番楽な道に思えて仕方ありません。
わたしには、人の人生を背負うことは荷が重かったのだと思います。
背負った妻の人生をすでに不幸にしてしまいました。
私には人生は難しすぎました。
感情がぐちゃぐちゃに混ざってどうすればいいかわかりません。
感情を抑え込むたびに、自分を殺している感覚があります。
以前の私は妻とどう関わり、どう笑っていたのか思い出せません。
私は消えるべきでしょうか、
夫婦仲は元に戻せるでしょうか、
もう心が限界です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここからが肝心
こんにちは。
事実関係に不明な点がいくつかありますが、分かる範囲で整理します。
「1月に挙式も終え」「4月には第一子」、「出産後に同居する予定」と書いています。事情があるのかもしれませんが、去年の夏頃には今年の「4月には第一子」が生まれるということは分かっていたのでしょう。であるのに、なぜ「出産後の新居」が決まっていないのかが疑問です。「出産後」に引っ越し、というのはただでさえ育児に負担がかかるのに、段取りがあまりにももたついている感があります。
「もちろん、何もしていなかったわけではなく、不動産を巡り、子供用品を調べて準備の際に円滑にできるようにしていました」と書いていますが、仕事の忙しさがあったにしろ、「円滑にできるようにして」いたものが、今でも何故「新居」が決まっていないのかが分かりません。
あなたはご自身を振り返って、「私から準備についての話をするのが遅く、話した時には妻の母親と2人で買いに行く段取りを立てたと言われ」たと書いています。そして、「無」と奥さんに断定されるに至った。つまり、言葉を換えれば何の助けにも、頼りにもなっていないという事実をその一字で表現したのではないないでしょうか。
これらの事を併せて勘案してみれば、あなたは言い訳が多く(「円滑にできるようにして」いたなど)、かつ物事を進める実行力に欠けていたというのが実相なのではないでしょうか。
ただでさえ、奥さんは「第一子」という初めての出産で不安と身体的負担が多い時期です。そんなとき、一番近くに居て誰よりも率先して動いてくれるべき人が、動かない、決められない、頼りにならない。これは「無」だ、全く存在しないものとして扱わなければ心が持たない、そう断じてもおかしくありません。また、そうでもしないとご主人に頼れないという理不尽さを、心に落ち着けることが出来なかったのでしょう。
あなたは、来たるべき命の父親に成る人です。
まだ、20代で新米パパであるし、新米夫であるから上手く動けないのも無理はありません。しかし、ここからが肝心です。「死が1番楽な道」などと軽々しく言う前に、「無」と断じられて新婚生活が終わらないためにも自分の欠点を見直し、これまでの100倍早く動く、100倍早く決断するぐらいの気持ちで奮起、再起してください。それがあなたの最良の道です(字数制限)