生きる意味と幸せになる未来が見えません
現在就職活動をしていますが、大学院まで通わせてもらったのに将来のことが何も考えられず、毎日本当に行きたいのかもわからない企業の志望動機を書いていて、全ての人に申し訳なくなってしまいました。
思い返せば、高校時代には友達がいっぱい行くからという理由で理系を選択し、大学時代も何となく成績で行けそうな学部を選択し、研究室もなんとなく直感で決めてきて、自分の気持ちや信念がないまま生きてきました。
家族や友人など周囲の環境にはずっと恵まれてきて、勉強も人よりずっとできたので、周囲には何一つ問題がない人だと思われていると思います。だからこそ、本当の自分は生きる意味も見出せない空っぽな存在であるのが耐えられないです。でもきっと私の中には無意識に形成されたプライドや傲慢な心があって、今更逃げ出したところで、周囲の期待に応えられず、良くしてくれる親に迷惑をかける自分を責め続けてしまうのではないかと思います。何を選択しても、自分が幸せになれない気がして、ただただ何もできず目的もなく泣いてしまう毎日です。
結婚して、子供ができて、それを守るために生きられたらそれだけで幸せなのかなと思いをはせることがありますが、私は同性愛者なのでおそらくそれは叶わず、これからも数々の困難に向き合わなければならないのだと思います。
楽しいことや大切なものは周りにこんなにたくさんあるのに、それを分かっているのに、襲い掛かってくる不安に負けそうになってしまいます。これからもこの不安に耐えて、周りの人を悲しませたくないからという理由だけで、ずっと生きていけるとは思えません。こんなわがままな今の私、これからの私に必要なものは一体何なのでしょうか…?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうぞ、「あなた御自身の人生」を生きて下さいませ…
あなたのおっしゃりたいことがわかります…そして、それは本当に重い問いだと感じます。だからご相談内容は良くわかっても、私には適当と思える回答が出来そうにありません…お許し下さい。
「何となく」「本当に行きたいのかもわからない」「自分の気持ちや信念がないまま(に)」「何もできず目的もなく」…とおっしゃっています。本当にお辛いでしょうね。
でも、そうではなく「強い信念、意志、目的を持って」生き、「何をしたいかがはっきりわかっている」お方なんてそんなに多くないんですよ。逆に少ないからこそそれらのお方にスポットライトが当たり、人々より賞賛を受けるのです。
そう成れれば本当に良いのでしょうが、そうでなければならない…なんてことはありません。
仏様とは私達一人一人のいのち(つまり存在)をそのまま認めて下さるお方です。決して優劣を付けることはありません。私のそのままを認め、誉め、抱き取って下さいます。そしてそれは、そうでないと私は生きていけないと見抜かれたからでした。
「スポットライトの当たったごく少数の優秀なお方は、仏様など存在しなくても生きていけるんじゃないか」 そうかも知れません…今のうちは。
でも、どなたにも老病死は平等に訪れます。賞賛される日々が、自らに向けられた羨望の眼差しが終わるときが必ずやってくるのです。それはもう、それまでの自分ではない、只の人、いやそれ以下の存在になってしまったと感じたときの落胆は本当に大きく、辛いものでしょう。その時に味わう苦しみは計り知れないものであって、よく「人生の幸と不幸は差し引きゼロ」だと言われますが、本当にそうなのかも知れませんね…。
とにかく、あなたはあなたのまま、あなたの人生を生きて下さい。他人と比較するのは無意味ですし、周囲やご家族に気を遣いすぎる必要もありません。
今のままのあなたを仏様は慈しんで下さっています。
どうぞ、御自分を卑下することなく、仏様に誉められたるあなたのいのちを大切に生きて下さいませ…ご多幸を念じ上げております。
質問者からのお礼
真摯なご回答、本当にありがとうございました。
目先のことにとらわれすぎて、自分に降りかかる不幸ばかり考えていたと気づきました。「人生の幸と不幸は差し引きゼロ」、確かにそうかもしれないと思いました。身の回りのたくさんの幸せに感謝して、取り繕いすぎず自分なりに生きていこうと思います。いつかそのままの自分を愛せるよう、少しずつでも変わっていけたらと思います。