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過去の後悔との向き合い方

回答数回答 3
有り難し有り難し 111

はじめまして。

私は過去にたくさんの人を傷つけてしまいました。自分のしてきたことをすごく後悔しており、反省しています。
恋愛、友人関係…幼稚であった自分が恥ずかしくてたまりません。
今さら謝ることもできませんので、ふと思い出したとき申し訳ない思いで苦しくなります。

これまでは自分のしてきたことが、自分に返ってくると覚悟していました。また私のような反省と後悔の気持ちをさせまいと、職業柄多くの人にもお話をしてきました。それで過去と向き合い納得できている部分もありました。自業自得だから、自分でどうにかすべきだと。

ですが、昨年子供を出産してから、もし私が犯した過去の過ちのせいで子供が傷つくようなことがあったらと…怖くてたまらないのです。
大切に守って、育てていきたいです。のびのびはつらつと育って欲しいです。それを私が妨げてしまうことはしたくないです。

子供の幸せのため、私はどのようにこの気持ちと向き合うべきでしょうか。

また、長年心に引っかかったままの過去の後悔と今後どのように付き合っていくべきでしょうか。

お読みいただきありがとうございます。
よろしければお言葉をいただけると幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自業自得の意味を理解しているなら、善行という種蒔きを


過去にたくさんの人を傷つけてしまいました。
自業自得だから、自分でどうにかすべきだと

このことがわかっているなら、やるべきことはただ一つ。善行の実践です。たくさんの人を傷つけたことを悔やみ、心配するのなら、それ以上に多くの人々を悲しみから救い、喜びを与える行動を取ってください。

過去を振りかえり反省することは大事です。でも、それ以上に、未来に向かって善行の種蒔きをすることが大事だと思います。人間誰しも、生きている限り過ちや失敗はあります。でも、それ以上に善行を積んで行けば、大丈夫です。

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おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

秘密のままに

秘密にしておきたいことのひとつや二つ、誰にもあるものです。心の奥にそっとしまいましょう。
もしも子供が傷付くことがあっても大丈夫。むしろ傷付く方が子の成長には良いのです。
人を傷付けるくらいなら傷付けられ人の痛みの分かる強い人に成って欲しいとは思いませんか。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

優しいお子様に育てる事が過去のお詫びと思って

 当時、傷つけてしまったかもしれないお友達が近所にいて、昔の仕返しをわが子にされるのではないか、と心配している、という事でしょうか?

 もし、そうならば、「いまさら」などといわず、本人たちにきちんと謝罪しておいた方が良いでしょう。
 そうでなく、ただ見えない力が子供さんに降りかかるのではないか、という心配なら、そういうことはないと思います。仏教では因果を説きますが、そういう不思議な因果関係は否定しています。

 あなたの子供さんは、昔のあなたのように人を傷つけたりしないように気を配り、また困っている人を助けられる優しい人に育ててくださいね。それが今のあなたにできる最大限のお詫びになるのではないのでしょうか。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

有り難いお言葉をありがとうございました。

過去に傷つけてしまった人たちには、残念ながら今は会うことができません。直接謝罪をすることはできませんが、他の人へ思いやりを持って接することで少しでも償うことができればと思います。

これまでは、漠然とした不安を感じ後悔ばかりしておりました。反省することでよりネガティブになっていたのかもしれません。
もちろん反省の気持ちを忘れることはありませんが、心に秘めそれだけに固執するに留まらず前を向いて善行を積んで行こうと思います。

幸いにも私は、未来ある人材を育てる仕事に従事しております。彼らが後悔なく、喜び溢れる人生を送れるよう 種まき をすることが私のすべきことなのかもしれません。
実はなぜこの仕事についたのか、自問自答することもありました。ですが、今回いただいたお言葉からその答えにも近づけた気がします。

お言葉の通り、我が子を優しく強い人に育てられるよう努めます。そのためには私が今より成長しなければなりません。善行の種蒔きを大切にしてまいります。

本当にありがとうございました。
明るく、一歩前に進むことができそうです。

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