この年齢になってもこれから人生を高めたい
はじめまして。20代後半の者です。
自分は今まで周囲の人間のレベルの高さと自分の能力の低さに苦しんできました。
特に、この年齢になってから、現在大いに活躍できている人を見て、自分の非力さに押し潰されそうになっています。
自分には大した能力や実績もないままこの年齢になってしまったことに対して苦しいです。
このまま能力や機会を得るどころか失いながら朽ち果ててしまうのではないかという恐れやどうせ今から何かしても無駄だという気持ちがあります。
しかし、それでも人生を諦めたくない、頑張りたい、自分もレベルの高い人たちの一人として数えられたいという気持ちもあり、両者がせめぎ合っています。(自分の凄まじい劣等感を克服できるような行動をしたいという欲求は強いです。)
頑張りたい気持ちが強いときは自分が立てた目標や人生の目的にむけて行動できていました。(今更ながら、老後の夢や自分のありたい姿や送りたい生き方、やってみたいことや趣味は数多く出てきます。)
しかし、ときどきは何をやっても無駄だという強くなってしまい、一度そうなると好意を持って接する人に理不尽な理由で辛く当たってしまったり、無気力になったり、YouTubeやSNSなどで時間と精神を無駄にしてしまいます。
どうすればネガティブな諦めの気持ちを弱め、前向きな気持ちを高めることができるのでしょうか。
本当は自分も高みへと行きたいと思っております。(例えば、仕事で卓越した業績を上げたり、老後の夢を実現させたり、趣味を極めたり、やってみたいことをやってみたりしたいと思っています。後半2つは本当に今更ではございますが。)
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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理想がデカすぎる
夢が大きいのは、本当にいいことでしょうか?
一度も山に登ったことのない人間の、「エベレストの頂上が見たい」という言葉に価値を感じる人がいるでしょうか?
あなたが目標に打ちのめされるのは、能力が低いからではありません。
目標が能力に見合っていないからです。
素晴らしい業績は一足飛びに出るものではありません。
小さな目標を達成し、少しずつ進みましょう。
一歩一歩登ることでしか、山頂に至ることはできないのです。
追伸:
この答えを「高い目標を諦めろ」と読んでしまうのであれば、やはり諦めろと言わざるを得ません。
高い目標はあってもいいが、それは上を見ているだけ。
足元が見えてないからテンションが不安定になり、苦しんでいるんですよ、あなたは。
足元だけ見て一歩一歩進んでも、一万歩歩いたら一万歩分だけ前に進むんです。
これは上を見ていようが、下を見ていようが、変わらないんですよ。
人生の高みは一つではない。
私は30歳で脱サラして僧侶になりました。
周囲の僧侶仲間は大抵お寺の子弟ですから
追いつきようのないレベルからの出発でした。
それゆえに周囲と自分を比較することなく
自分のペースで行動できたと思います。
あなたの今までの人生と比べて
もっと高い所へ行けばいいのです。
他の人の人生と比べる必要はありません。
エベレストより低いですが
富士山を馬鹿にする人はいませんよ。
高い目標を持つことはいいことです。
みた 様
高い目標を持つことはいいことです。
あなたが描いた目標とその夢を追いかけるのは、宇宙ひろしといえども、その場所その時で、描くのはあなたしかいません。あなたが夢を諦めたら、誰も実現できません。ですので、頑張ってください。
能力に見合っているとか関係ありません。あなたが目指すのですから。
で、高い目標を目指すときに、段階を踏んでいくことを忘れないようにしてください。いきなり高いハードルは飛べませんから、まず低いハードルを越えて次の高いハードルと、自分で、段階を決めていきましょう。難しく超えにくいハードルは、何回トライしてもいいし、ハードルを分割してしまってもいい。そう思って、高い目標を目指してください。
あなたの人生はあなたが主人公。あなたの夢はあなたが実現するのです。
そして、さらに難しい時は、他人の助けを借りてもいい、ということです。
「理不尽な理由で辛く当たってしまったり、無気力になったり、・・」になりそうな時は、他人に、甘えて、優しさを分けてもらいましょう。
他人から優しさを分けてもらうと、あなたも他人に優しさや思いやりを分け与えるようになり、さらに、高みを目指すことができるでしょう。
人は一人では行けていけないのですから、優しさや安らぎも必要になってきますよ。
そう思って、これから過ごしてみてください。
あなたは素晴らしい人になるでしょう。
私はそう思います。
一礼
質問者からのお礼
>一度も山に登ったことのない人間の、「エベレストの頂上が見たい」という言葉に価値を感じる人がいるでしょうか?
この喩えで言うと、僕は皆子山の登頂には成功したことがあるかもしれません。
ですが、エベレストやK2の登頂に成功している人や、そうでなくても富士山や北岳に登頂した人を見てしまい、自分もそうあらねばと思い込んでしまったのかもしれません。
>素晴らしい業績は一足飛びに出るものではありません。
小さな目標を達成し、少しずつ進みましょう。
まずは少しずつより高い山に挑戦していこうと思います。
(最終的にどの山まで行けるかはわからないですが。)
ごめんなさい。
やっぱりいろいろ諦めたくないです。
老後の夢や自分のありたい姿や送りたい生き方、やってみたいことや趣味は今になって数多く出てきましたし、高みを目指したい気持ちは変えることはできなさそうです。
皆子山に登頂できたという中途半端な成功体験を味わったので。
>この答えを「高い目標を諦めろ」と読んでしまうのであれば、やはり諦めろと言わざるを得ません。
納得がいかないです。こう言われても諦められないので、一歩ずつ足下見ながら登頂してみせます。
ありがとうございます。